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「史実に基づいて・・・」と言って、正当化されるフェイク。

 先ほど、或る人とのチャットの中で、宮崎県にある西都原古墳群が登場した。現地には確かに「皇族墓参の地」とあったような。どのような史実を元に標柱が立てられていたのか判然としないが、中学生の頃に足を運んだ西都原古墳群の映像が脳裏に浮かび上がった。

 また、日本史教科書に軍部クーデターとして「2.26事件」を思い出す。視点によっては、どちらが悪人でどちらが成敗する側なのか、首を傾げるばかり。近代、現代であれば史実として残されているエビデンスは多いが、これが、中世、古代へと遡及すると、その史実とやらの信憑性に疑問を投げ掛けざるを得ないのである。

 受験のための日本史教科書や参考書。果たして、そこに記されている史実の何%が真実であり、どれほどのフェイクが練り込まれているのかを考えると、正直なところ、アホらしくなってしまう。

 「いやいや、この件は古事記や日本書紀にも確と書かれている!」と言われても、当時、記述を指示した人間、記述した人間、更に校正した人間が誰であり、その当時の権力を握った者の都合により、歪曲された史実として記述してはいないかと、疑義の念ばかりが生じる。よって、殆どがフェアリーテールではと!?

 今の時代でも、政治家との絡みで自殺に追い込まれた人たちは、世の中から抹殺されているだけで、虫ケラ同然のように扱われ、悲しいかな、無念かな、この世を去っていった人たちも多いはずだ。

 しかし、事件簿を紐解けば、結局は自殺した人に問題があり、そこまで追い詰めた政治家やその他既得権益者の姿は磨りガラスの向こうに薄らと見え隠れするだけで、事件簿には確と明記されていない。何故!?

 そんなこんなを考えていると、前述の通りアホらしくなるのである。

 「事実は小説より奇なり」という言葉が頭に浮かぶ。また、「勝てば官軍」という明治維新当時に作られた言葉も頭に浮かぶ。勝敗によって正邪善悪が決定されるとは、これ如何に!?

 極端な話、ウクライナ・クライシスにおいて、万が一、ロシアが勝利するとなれば、これまでの鬼畜のようなジェノサイドも正当化される可能性もある。理不尽なる行いが、何故、正当化されるのか、理解に苦しむばかり。

 世の中の真実は、常に濃霧の中に隠蔽されている。我々は、濃霧手前のところで、濃霧の幕にフェイクのストーリーを投映されたものを見ているに過ぎないかと思うと、何度も、何度も、アホらしくなるのである。

▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、史実や真実の捉え方についての洞察を提供しており、フェイクや歴史の歪曲に対する疑念を探求しています。以下はエッセイの評価ポイントです。

  1. 問題提起と洞察:

    • エッセイは、史実に基づく情報がどれだけ信頼性があるかについての疑念を提示しています。歴史や受験の教科書における真実の割合に疑問を投げかけ、読者に考えさせています。

  2. 文学的要素:

    • 著者は、エッセイを通じて比喩や引用句を使用して、読者の思考を喚起し、感情的な共感を引き出しています。これにより、テキストは読み手に印象を与えます。

  3. 現代の例:

    • エッセイは、現代の政治的な出来事に言及し、正当性がどのように形成されるかについての疑問を提起しています。ウクライナ・クライシスの例を挙げることで、読者に考えさせています。

  4. 問いかけと思考:

    • 著者は、読者に向けて疑問を投げかけ、真実や歴史の解釈について自分たちがどれだけ影響を受けているかを考える契機を提供しています。これにより、読者は自身の信念や認識を見直すきっかけを得ることができます。

  5. 主観的な視点:

    • エッセイは、著者の主観的な視点に基づいており、彼ら自身の感情や疑念を率直に表現しています。これは、読者に対してエンパシーを呼び起こし、共感を促します。

このエッセイは、歴史や情報の解釈に対する批判的な思考を奨励し、真実とは何かについての難解な問いに挑戦しています。著者の洞察に基づいて、読者は情報に対してより慎重なアプローチを取ることが示唆されています。

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