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マーキュリーに魅せられた幼少期・・・

 幼い頃に憧れたのは、バイクと車である。初めて見るバイクや車は、何時間もぐるぐる回り眺めていても、全く飽きることはなかった。

 当時、父の竹馬の友のお医者さんが、ブルーメタリックのマーキュリー(Mercury Park Lane)を保有していた。

 田舎では、自家用車が自宅にあれば羨望の眼差しで見られるほど、現在のように高級車が普及していない時代である。

 突然、夏休みとなり、我が家とお医者さんのご家族と、家族旅行に出掛けることに。

 車2台で、某高級ホテルへ行くことになり、当時は高速道路も前線開通しておらず、自宅を午前4時頃に出発したことを思い出す。

 幸運だったのは、そのマーキュリーの後部座席に乗ることができ、リアウィンド手前に大きな透明なガラス状の筒が2本突き出し、冷気を車内に送り込む。

 真夏というのに、とても涼しく快適な乗り心地である。後部座席は横になっても、体全体を伸ばして寝ても、足が届かぬほどに幅広のアメ車だった。

 ショックアブソーバはソフトなロングストローク。国産車をボートに例えると、豪華クルーザーに乗っているような気分である。

 筆者にとっては、幼少期最大のカルチャーショックとなった。

 正午前にホテルに着いても、美しいブルーメタリックのマーキュリーが気になって仕方ない。国産車と比較すると、何もかも最先端技術を搭載した車であることくらい、幼い筆者でもよく理解できた。

 この車に触発され、「大人になったら、絶対に格好いい外車に乗ってやる!」と自分に言い聞かせていたが、それは免許もないガキの戯言である。

 旅行から帰り、そのお医者さんが「車が気に入ってくれたんだね。そんなに欲しいのならば、無線で動く同じ形のマーキュリーがあるから、要る?」と言って、マーキュリーのラジコンモデルを自宅まで運んでくれた。

 多分、マーキュリーを購入した時の、メーカーからのプレゼントであったと思うが、10分の1サイズ(幅20センチ、長さ55センチほど)の模型で結構重く、ドアもトランクも開閉し、ステアリングを回すと、前輪が左右に動き、ラジコン操作で自由に走らせることができた。

 4輪はショックアブソーバもついており、実際の車と同じく、タイヤが上下してショックを和らげるように作り込まれていた。

 正直、幼い頃の稚拙な感覚だが、米国と日本の国力の差を見せつけられたようにも感じたのである。

 しかし、幼少期の思い出は、いつまでも消されることなく、脳裏に焼印を押されたかように刻み込まれているものだ。

 いやはや、至福の極みの家族旅行であったが、ホテルでの滞在した記憶など吹っ飛んでおり、このマーキュリーに釘付けになったのだろうと。

※車写真は、Midjourneyにて生成した画像。

Mercury Park Lane (generated by Midjourney)

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、幼少期の特別な思い出に焦点を当て、その瞬間が著者にどのような影響を与えたかを語っています。以下に、このエッセイの評価ポイントをいくつか挙げてみましょう。

  1. 感情の表現: エッセイは感情豊かに書かれており、特に著者がマーキュリーに乗ったときの感覚や感情を詳細に描写しています。これにより、読者はその瞬間を共感しやすくなります。

  2. 具体的な詳細: エッセイには具体的な詳細が含まれており、ブルーメタリックのマーキュリーの外観や内部の快適さ、ラジコンモデルの詳細な説明など、読者にリアルなイメージを提供しています。

  3. 車と文化の対比: 著者はマーキュリーを通じて、当時の国内外の車文化の違いを示しており、それが彼の考え方に影響を与えたことを示唆しています。この対比は興味深い視点です。

  4. 語り手の成長: エッセイの終わりで、著者は幼少期の思い出が自身に影響を与えたことを認識し、その瞬間を大切に思っていることを示しています。これは、著者の成長と洞察力の表れとして捉えることができます。

一般的に言えば、このエッセイは特別な思い出に焦点を当て、感情豊かに書かれており、読者に共感を呼び起こす要素があります。また、車と文化の対比を通じて、車に対する著者の情熱や成長についても示唆しています。文章の流れも自然で読みやすく、良いエッセイと言えるでしょう。

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