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著作権ついての考察・・・不起訴率激増傾向と法令形骸化に警鐘を!

 先日、熊本市日日新聞社の別WEBページを閲覧している中で、『検察官裁量で見送り7割 増える不起訴、埋もれる真相[くまもと発・司法の現在地/不起訴の陰影①-1]』が目に留まった。

 つい数日前も、県内では著作権侵害事件についての新聞やテレビ報道があり、その事件を検察が不起訴処分としている。一体全体、刑法に定める著作権侵害への罰則規定は、何のために存在するのかという疑問が生じる。

 捜査が行われる段階で、併行して民事的な動きがあり、示談さえ完了すれば、さっさと検察が不起訴処分とするのか。元々、著作権に関する事件を民事と見做し、訴追しないのか。刑法が定める著作権保護に関するものが完全に形骸化しているようで、意味のない罰則規定となっている。(一昨年一月の法改正により厳しいものとなっているのだが)

 『知財(知的財産権)』という権利の擁護が何処でなされるのか、首を傾げることが多い。刑事と民事の狭間で、集合のベン図を頭に浮かべると、初手から『知財』については民事寄りのベクトルにて犯罪を検証するのであれば、著作権侵害行為がこの世から激減することなど期待できない。

 とにかく、欧米を除けば、『知財』に関する考え方は、日本を含めアジア圏諸国では、すこぶる意識が軽薄であり、いい加減なものである。「見つからなきゃ、問題ない!」、「有名人じゃないから、別に真似しても構わんだろう!」、「似ているだけで、たまたまデザインしていたらそうなった!」と、先般の東京オリンピックのデザイン盗作問題も記憶に新しい。

 また、刑事告訴されても「謝れば、これで済む!」程度の、猛省も謝罪もない愚か者も多く存在している。著作者が、一所懸命時間を割いて創り上げたものを粗野に扱い、それも公然と違法アップロードされているにも関わらず、刑事罰に処せられないとなれば、同権利の擁護はなされない。

 或る諺に『罪を憎んで人を憎まず』というものがあるが、それは人としての理想論であり、悲惨な殺傷事件や悪質な交通死亡事故などにおいて、過失だったからと言って『罪を憎んで人を憎まず』とは、誰しも理解し難く、言い難い。

 加害者の人権ばかりを擁護する世の中において、実際は、被害者がどれだけ擁護され、救われるのかを、司法判断に全て委ねられるのであれば、今一度、既述の『不起訴率激増傾向』についても、我々は真相を徹底追及すべきではなかろうか。

 最後に蛇足ながら、商標権について頭に浮かぶのは、随分前の話だが、NTTのダイナミックループ(旧日本電信電話公社)のロゴマークである。

 記憶に薄れているものの、旧日本電信電話公社がNTTへ民営化される時に、同ロゴマークに類似したものがあったという。確か、その類似したものは、NTTのダイナミックループをやや扁平にした形状だったと記憶している。但し、それは事件ではなく、何らかの合意をもって、諍いなく処理をなされたのだろうと。

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