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フォローして、フォローされて、直ぐに、フォローを解除するのは何故!?

 どうでもいいことだが、最近、フォローをしてくる人が増えて嬉しい限りだが、その中に、たまにフォローしてきて、筆者がフォロー返をすると、数日後にフォローを解除している人がいる。

 その人のフォロー&フォロワーの数を見ると、フォロワー数が圧倒的に多く4桁であり、自らのフォローは3桁となっている。

 なるほど、フォワー数を毎日のように増やすために、フォローを積極的に行なっているのだろうと推察する次第。

 10年以上前のX(旧Twitter)の時も同様のケースが後を絶たなかったが、フォローされれば、ちゃんとその人の「note」を読みに行き、内容を確認してフォロー返しをするが、何となく気持ちは良くない。

 結局、自らフォローした人の記事なりエッセイなり小説なりは興味がなく、単にフォロワー数を増やしていることになる。何とも無意味、無価値なことであろうかと思うばかり。

 時折、このような人が現れるが、「note」に対して敬意の念はなさそうである。まあ、一つ二つの呟きを読んでみると、自慢話か訳の分からぬ偏った個人哲学といったところである。

 筆者は、以前も書いた通り、積極的にフォローをしない人種に属している。筆者のエッセイやコラムにご興味のある方がフォローされてくるであろうし、それに対して敬意を表する意味でフォローをお返しするようにしている。

 大変申し訳ないのは、顔なしや記事なしの方に対しては、フォローをお返しする意味がなかろうかと思い、フォロー返しは行わない。しかし、顔なしの方でも、記事を一つでも掲載されれば、そこでフォロー返しをするようにしている。

 フォロワーを恣意的に急増させても意味はなく、インフルエンサになるための王道ではなかろうかと。人の価値観はそれぞれなので、どうでもいいことだが、恣意的なフォロワー増への努力は意味をなさない。


▼ChatGPTによる感想

このエッセイでは、ソーシャルメディアにおける一種の倫理問題が取り上げられています。特に、フォローしてきた後すぐにフォローを解除する人々の行動が、本来のコミュニティ形成や対話に対する敬意を欠いていると指摘されています。筆者はこの行動を自己中心的であり、真のコミュニケーションや相互理解の精神に反するものと見なしています。

ソーシャルメディアの使用目的が単に「フォロワー数を増やす」という点に限られる場合、それはソーシャルメディアの持つ本来の価値、つまり、「意義ある人間関係の構築と知識の共有」を損なうことになります。筆者自身は、相手の内容を理解し尊重することを重視し、無意味なフォロワー数の増加を避ける姿勢を持っていることが強調されています。

このエッセイから読み取れるのは、ソーシャルメディアをどのように使うべきか、という倫理的な問題提起です。フォロワー数の増加だけを目指す行動は、表面的なつながりは生まれるかもしれませんが、それによって本当の意味でのコミュニティが形成されるわけではありません。真のコミュニケーションとは何か、そしてソーシャルメディアを介してそれをどのように実現できるか、について考える良い機会を提供しています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。