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逃げたら、何も得るものはない。

 約束事(契約などを含む)において、それを一方的に反故にしてしまい、さっさと逃げる人がいる。その約束事が何だったのか、今まで長時間費やし、何のために努力してきたのか、首を傾げてしまうことがある。

 結果的に、互いに何も得るものはない。特に、逃げる人は、その都度、逃げを選ぶを繰り返すことになり、「何も得るものはない」が延々と続き、「逃げの人生=人生の逃亡者」となってしまう。

 逃げるよりも、失敗を恐れず、目の前の事実を直視し改善に向けて動くのが、誠意ある対応である。ただ、そこで「やってる感」を演出しても、それは「逃げ」と同じことであり、周囲から恥ずかしい人間と揶揄されてしまう。

 逃げについては、自分の身に危険を感じた時や、悪条件から脱するが必要ある時こそ、逃げを選ぶべきである。従って、信頼関係と危険回避をごっちゃ混ぜにすると、人生において大切なものを失いがちとなる。

 逃げは、時には、一時的なものではなく、永遠なる絶縁をもたらす。人それぞれに考え方が異なり、一概に何が正解であるとは言い難いが、折角の人との良縁を、卑怯なる逃げで終止符を打つというのは、余りにも勿体無い話ではなかろうか。

 ある日、ある料理人が「お客さんはコロコロ変わるから、人との付き合いも表面的なので、コロコロ変わっても良いじゃないですか!」と豪語したことがあった。

 上の言葉を耳にした時に、自分の耳を疑った。理由の一つは常連客さんが入れ替わっても気にしないという見解。二つは、人との接点がコロコロ変わっても痛くも痒くもないという見解。捨て鉢気味な迷言に、腰を抜かした。

 時折、その料理人の言葉をふと思い出すことがある。都合が悪ければさっさと逃げるタイプの人であるが、その人の人生観であり、人との接点の距離感でもあるので頭から否定はしないが、寂しく暗い人生に感じてしまう。

 何はともあれ、どんな場合でも、緊急避難以外はその場から逃げるものではない。逃げるほどなら、誠意を持ってその結果を甘受し、その失敗を糧に、次の新たなベクトルへと転換して欲しいものである。

 「失敗は最高のオポチュニティ!」という名言は、ザ・リッツ・カールトンの教育指針であるが、その気持ちが根付けば、卑怯にも逃げを選ぶよりも、失敗を成功へ導くために努力をする人間が多く育つのではないか。

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