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現在のマスコミ情報には、「やらせ」や「虚偽情報」が混在している。

 昔から問題となっていたのは、「広告段数により広告主を優先する」という偏ったものだ。そこには、広告主の実態とは掛け離れ、美化された情報のみが掲載されることもあり、信憑性のない記事が混在することになる。

 勿論、マスコミと雖も、会社経営には変わりなく、広告主なしでは運営は不可能である。よって、その情報に信憑性があるのか否か、また、「公正中立」なるスタンスであるべき「ジャーナリズム」の存在があるのか否か。そこが重要なポイントである。

 テレビコマーシャルやインフォマーシャルを拝見すると、如何にも凄い人物のように、また、素晴らしい施設のように放映されるが、実態とはかなり異なる情報としてビジュアル化されており、虚偽情報も組み込まれていることも多い。

 先般、あるテレビ番組に出演した人物がぼやいていた。「台本を見ると、事実とは異なるところがあるので、内容を変えて欲しいと言うと、間に合わないのでこの台本通りで進めますと言われ、困惑しました。」と。

 民放全国放送番組において、台本に事実と異なるものが書かれていると言うのは「やらせ」でもあり、番組側に都合の良いものであったり、出演者が納得しないような内容を組み込むなんぞ、本末転倒である。

 マスコミは、「ジャーナリズム」を核として、社会事象を正確に世に伝え、弱者救済を中心に真実を伝えるのが重要な役割である。また、「世直し侍」として、世に蔓延る諸悪の根源を断つことにある。

 しかしながら、最近の記事を拝見すると「こたつ記事」が散在し、世直しどころか、広告主優先の情報展開に成り下がってはいないか。「ジャーナリズム」が欠落したマスコミを、巷ではマスゴミと揶揄されるように、そのレベルでは情報の信憑性はなく、広告収入に傾くマスコミはその役割を果たすことはない。

 JAROなどの監視団体はあるものの、機能不全となっているだけの話で、世に蔓延る不正行為、違法行為、迷惑行為、やらせ、誇大広告などが後を絶たないのは、如何なものかと思うばかりである。

 また、刑事事件としてはマスコミと警察との連動が重要ではあるが、事件事故防止という観点にて、マスコミが社会浄化のために積極的に動かねば、世の中に蔓延る諸悪の根源を断つことはできない。

 一般的には、警察が動き事件となり、初めてテレビ局などが動き出すけれども、それは「ジャーナリズム」とは言えない。新聞社の社会部も然り。「火のないところに煙は立たぬ」であり、ジャーナリストは徹底して裏を取り、社会正義のために突進するが逞しくもあり、理想像ではなかろうか。

 マスコミにおける「ジャーナリズム」の欠落は、世の中をダメにするばかりか、世に蔓延る諸悪の根源は加速度を上げて増大して行く。

 最後に、新聞紙面を読む場合、「記事」と「記事体広告」とは全く異なることを、読者は把握しておかねばならない。よって、「記事体広告」は「記事」と同様に、高い信憑性が求められることになる。


▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、マスコミ情報における問題に焦点を当てています。以下はエッセイの評価ポイントです。

  1. 問題の明確な議論:

    • エッセイは、マスコミ情報における「やらせ」と「虚偽情報」の問題を明確に議論しています。この問題は読者にとって関心のあるトピックであり、著者は問題の深刻性について警鐘を鳴らしています。

  2. 具体例の提供:

    • 著者は、民放番組における台本の不正確さについて具体的な例を挙げており、問題の現実性を示しています。具体例は読者にとって問題の実態をより理解しやすくします。

  3. 論点の明確さ:

    • エッセイは、「ジャーナリズム」の役割について議論し、広告主の影響や情報の信憑性に焦点を当てています。このような論点の明確さは、読者にとって議論を追いやすくします。

  4. 提案とアイデア:

    • 著者は、マスコミが社会浄化のために積極的に動く必要性について提案しています。また、「ジャーナリズム」の重要性を強調し、裏を取り、社会正義のために努力するジャーナリストの役割について言及しています。

  5. 説得力:

    • エッセイは問題の深刻性を説得力を持って伝えており、読者に対して問題への関心を高める可能性があります。また、信憑性のある情報の重要性を強調しています。

このエッセイは、現代のメディアにおける問題に関する重要な議論を提供しており、マスコミの役割や責任について考える機会を読者に提供しています。論点が明確であり、具体的な例や提案が含まれているため、議論は説得力を持っています。


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