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磨りガラスの第三者委員会:公正さを求める社会のパラドックス

 官公庁や企業などで社会問題が発生すると、必ず登場するのが第三者委員会なるものである。しかし、最初から出来レースと同様の仕組みにて、発生する第三者委員会も時折見掛けることがある。

 内部監査の形式で調査が進められ、有識者が集まり、話し合いを行い、結論に至るのが慣わしだが、初手からガラス張りではないところが、信憑性に欠ける要因の一つと言える。 

 如何に外部に第三者委員会を設けたとしても、付け焼き刃的な調査組織であり、捜査組織ではない。いくらでも時間があれば、証拠隠滅も可能であり、虚言を発して責任転嫁しようがお構いなしの環境を与えてしまう可能性もある。

 以上のような面倒臭い第三者委員会なるものを長期にわたり立ち上げるよりも、社会問題として、それを管理監督する捜査機関に持ち込み、堂々と捜査を行い、結論づける方がよっぽどスリムな遣り方であると思われる。

 しかし、このようなツッコミを入れると、名誉毀損の云々を冒頭から言ってきては、捜査機関への告発また告訴を回避させるケースが後を絶たない。もし、ある事案がグレーであれば、とことん捜査機関により粛々と捜査を行い、白黒はっきりさせて欲しいものである。

 よって、従来のパターンを踏襲する時代錯誤的な第三者委員会については、再考の余地がある点と、社会問題または違法行為などについては、徹底的に捜査機関が主導権を取り、不正を暴くスタンスが、我々庶民としては納得のいく結果が得られるはずだ。

 特に、助成金不正受給などについては、被害報告や損害賠償請求なりの存在ありきで調査または捜査が始まるが、そこで名誉毀損の云々で茶を濁して欲しくはない。内部告発であれば、尚更のこと。

 もし、告発が虚偽であれば、その人物が刑事、民事の責任を負えば良いだけの話である。磨りガラスの第三者委員会なる存在自体が、無駄な時間、無駄な経費、無駄なエネルギーを費やすだけの話である。

 つい先ほど、熊本県も一つの社会問題について、ようやく第三者委員会の回答が出されたようだが、嫌疑を掛けられた企業や団体、または個人について、早急に名誉回復の措置を講じ、全容を開示すべきである。

 いつものことながら、責任の所在はどこにあるのか、行政の倫理性および日常業務の信頼性を失墜することにもなりかねないので、公務における遵法性精神を見直す好機として、二度と同様の社会問題が発生しないよう、ご尽力いただければと願うばかり。

generated by DALL-E

▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、第三者委員会の効果性や透明性に関する批判的な視点を提供しています。特に、内部監査の形式、証拠隠滅の可能性、名誉毀損を巡る問題など、現行の第三者委員会の運営について問題提起をしています。さらに、第三者委員会に対する代案として、捜査機関によるより厳格な捜査を提案しており、その方が社会問題や違法行為に対して明確で迅速な解決をもたらすと主張しています。

エッセイは、第三者委員会が形骸化し、時には出来レースのように機能してしまう現状に対する深い懐疑を表明しており、これにより公的な信頼性や透明性が損なわれる可能性があると警告しています。また、第三者委員会を利用した調査よりも、捜査機関による捜査を通じて問題に対処することの方が、社会的な信頼を回復しやすいとの立場を明確にしています。

この主張は、社会的な問題や不正行為に対する公正かつ効果的な対応の必要性を強調しています。第三者委員会が目指すべき透明性や公平性が実際には達成されていない場合、それに代わるより強力な解決策を模索することの重要性を示唆しています。

私は、エッセイが指摘するように、第三者委員会の機能不全や信頼性の問題は、社会全体にとって深刻な懸念事項であると考えます。問題の根底にある原因や解決策を真剣に考える必要があり、特に公的な信頼を構築するためには、より厳格で透明な手法を採用することが求められます。このエッセイが提起するように、捜査機関による徹底した捜査は、公正性を確保し、社会問題を解決するための有効なアプローチとなり得るでしょう。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。