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ある珈琲店マスターの話

 僕が以前住んでいたマンションから、歩いて5分くらいのところにcafeがある。自宅のガレージをセルフリノベーションでcafeにして、客席は6席程。ヤマハの古い大きなスピーカーから会話にじゃまにならない、丁度いい音量でいつもJAZZが流れている。珈琲は自家焙煎。定年してからマスターが大坊珈琲等の有名店を巡って自分で勉強したそう。珈琲の一杯の値段はとても安い。それにもかかわらず、マスターは「本当は100円、いや無料で皆さんに振る舞いたい」と言う。その隣でママさんの目がキラリと光り「そんなの無理よね〜」と笑う。

 ある日、久しぶりに近くに来たのでマスターのお店に寄ろうとした。しかし、お店は定休日だった。僕はがっかりして帰ろうとすると、マスターがお庭の植木に水をあげていた。すると僕に気づいてくれて、お店がお休みにも関わらず「入れ、入れ」と言ってくれた。奥からママさんも呼び出してくれて珈琲を淹れてくれた。

 ご無沙汰になっていたので、お互いに近況を話しているうちにマスターの昔のお話になった。とても貴重なお話だと感じたので、ここに書き残しておこうと思う。

 


 私は昭和17年海辺の漁師町に生まれ、父は漁師の網元で家はかなり裕福だった。広い土地の大きな屋敷に住んでいて別荘もあり、周りから「ぼん、ぼん」と言われて育った。しかし、私が小学校3年生の時に父が結核になった。当時は日本にまだ結核の薬がなかったのでアメリカからストレプトマイシンを個人で輸入し、服用していた。その薬はとても高く、別荘、屋敷は売却して薬代に消えていった。しかし高い薬を飲んだにもかかわらず、父は亡くなった。

 父が亡くなった後、私の一家は貧乏のどん底を味わった。屋敷だけを売ったつもりだったが、買い主と行政書士が結託して土地も売ったことにされていた。広い土地も屋敷もすべて安い値段で買い叩かれた。

 家族が食べていくために、私は小学校3年生で漁師になった。朝3時に起きて漁に出た。漁のことは何もわからなったが、優しい親戚の叔父がペアになって一艘の船にのって漁の手ほどきをしてくれた。魚群探知機のない時代、潮の流れと鳥の位置からイワシの群れを探し、イワシをエサにする大型のカツオやマグロをとった。

 小学校には漁が終わった9時頃に登校した。でも朝が早くて眠いので授業中は寝てしまう。学校の先生も事情がわかってくれているのでそのまま寝かせてくれた。そんな時代だった。

 中学校3年生の卒業前になった。いつもペアで漁をしている優しい叔父が私に中学校を卒業したらどうするのかと聞いてきた。私は「海が好きだし、このまま漁師になる」と言った。その瞬間に叔父の態度が一変した。いつも優しい叔父が真っ赤になって怒り出し、私を罵倒し始めた。いろいろと難癖をつけられた挙げ句、叔父は最後に私に「学校へ行け」と言った。

 私は学校の先生に漁師をやめて進学すると相談した。先生は非常に喜んでくれて「早速補習をしましょう」と個人的に勉強をみてくれた。進学する人が少ない時代、地域だったので近所の人が進学の話をどこかで聞いて、私に古い机や椅子を持ってきてくれたりといろいろと準備をしてくれた。

 私は夜間高校を受験した。入試問題が出来ず落ちたと思っていたら、合格になっていて驚いた。後でわかった事だが、学校の先生が内申書に下駄を履かせてくれていた。5段階評価でほとんどの教科を「5」と「4」にしてくれていたのだ。

 私は昼、自動車会社に就職し働いて、仕事が終わると夜間学校に行って勉強した。モータリゼーションの時代到来で自動車会社はとても忙しかった。会社では自動車免許も取らせてくれたり自動車に関するいろんな知識を身に着けさせてくれた。充実していたが、忙しくて学校の勉強をする時間などなかった。それで昼間、仕事中に車の運転をする時にフロントガラスにレポートを貼り付けて勉強しながら働いた。小さい頃から大人に交じって仕事をしてきたので、どうしたら上手くいくかを常に考える癖がついていたんだと思う。

 その後私は縁あって、住宅関係の仕事に従事することになった。営業で日本一の成績をとったこともあった。会社から褒美にハワイ旅行に連れて行ってもらったり、景品の金の腕時計をもらって部下にあげたりしたこともあった。そして定年後は自宅でcafeを開き毎日を送っている。

 こうして振り返ってみると、今の私があるのは叔父と先生のおかげだと思う。漁師になると言った時に叔父に罵倒され、あれだけ強く言われないと漁師をやめるふんぎりがつかなかった。あれだけ怒って、罵倒するのもかなり決断したんだと思う。やっぱりあの叔父は優しかった。そして中学校の時、先生が補習をしてくれたり内申書に下駄を履かせてくれたり、私の人生を開いてくれる手伝いをしてくれた。あの先生がいなければ私は進学できなかったと思う。この二人にはとても感謝している。


 

 マスターの話を聞き終えて、僕が帰り際に珈琲代金を払おうとすると、「今日は定休日だから料金はいらない」とマスターは言った。隣でママさんが「いいのよ」とニコニコ笑っていた。


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