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【第4話】「建築はクソみたいな仕事だ!」職人サラブレッド故の反発

建設業には就職しない。職人サラブレッド故の反発がありました。建築を毛嫌いした理由をお話をさせて頂きます。


父は上京して弟子を5人抱える偉大な親方。父の兄弟も全員新潟で大工をしています。母の父は町で自慢の大工棟梁。叔父も大工。他にもクロス屋さん、電気屋さんと職人一族です。そこに生まれたわたしは、言ってみれば"職人サラブレッド"なのですが、そんなサラブレッドは何故、工業高校の建築科を卒業しても建築の仕事に就かなかったのか?それは幼少期からサラブレッド故に見えるものが多すぎたのが原因でした。

毎日休みもなく仕事に出ていく父の姿をみた。給料前になれば父の弟子たちがうちに来て、酒を浴びるように飲んで言葉が乱暴になる姿や喧嘩する姿もみた。たまに連れて行ってもらう現場の詰所はタバコの煙で充満し、そこにも酒があって、歯が真っ黒なおじさんが不気味な笑顔で声をかけてきた。トイレは鼻を刺すような悪臭とウジ虫。父の弟子が大怪我をして病院の見舞いの付き添いで同行した事もあった。そういう世界を小さい頃から見ていて「建築キツい!建築汚ナイ!建築は危険!」って幼少ながらに衝撃があったんだろうなと思います。
いわゆるこれが建設業の3Kとか言うやつでしょう。それがが幼少期に味わったサラブレッド故のリアル体験です。母は製薬会社で働いていて、たまに仕事場に連れて行って貰った事があるのですが、職場を比較した時に建築と一般企業の違いの落差を感じた。

そんな体験からなんとなく「建築だけはイヤだなぁ」という強い反発心が芽生えていました。だから小学校、中学校の頃の夢は「プロ野球選手」で通し、高校になれば「ミュージシャン」で通していました(笑)のちのちの話にはなりますが実は、ミュージシャンに関しては現実になるのでまたお話をさせて頂きますね。

とにかく職人サラブレッドとして生まれた宿命から逃れようと色々な理由を使って「建築とは無縁だ。」というアピールをし続けました。

その昔、、、というか昭和の戦後復興以降~経済成長期の日本では、子ども達から見れば大工さんは憧れの仕事でした。わたしが建築を毛嫌いする気持ちを余所に「将来の夢は大工さん」という子どもたちがわたしの周りでも多くいました。きっとその頃は高いところに登ってトンテンカンしている職人の姿がなんだか楽しそうで、粋で格好良く見えていたのかも知れません。

賃金の話で言うと、わたしの幼少期の体感上、年に5回くらいは旅行に連れってて貰えていましたし、生活自体も悪くは無かったので、一人前の親方にもなれば、給料は昔も今も悪くはないのではないかな。という感覚はあります。ただ、職人さんは一人親方(個人事業主)の場合がほとんどですから、確定申告を自分でしなければならなかったり、社会保障に関しても自分で行うなど、少し面倒なところはあります。また2023年10月からはインボイス制度も始まりますので、税制面から見ても立場上、元請けの取引先との関わり方が若干ややこしくなる部分もあるかと思います。

休日に関して言えば、建設は重要なインフラ整備の仕事なので、365日24時間止まることはありません。また、有休のような福利厚生がなく、ほとんどが出来高制、歩合制、日当制になるので、やったらやった分だけ、休んだら休んだ分、当月の対価に影響に受けます。建設業が週休二日制にしていく事が難しいのはこういう事情があるからですね。

幼少期に感じた「きつい/汚い/危険」という事、社会保障面、税制面、休日に関して、福利厚生の面、そしてそれに輪をかけるサラブレッドの反発心が相まって「建築なんてクソみたいな仕事だ!」と判断したわたしは建築の仕事から遠ざかって行きました。

「建築なんてクソみたいな仕事だ!」と一般の企業に就職し、生活を保障されている中でぬくぬくと仕事をしていたある日、突然、会社員人生にピンチをむかえ、わたしの人生の歯車は少しづつあらぬ方向に狂っていくのです。

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