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【#教員不足問題と僕】ゼロイチ夏合宿で、理想が信念になった話。

二度目ましてです!
Quicken.(クイッケン)の小谷瑞季と申します。

本投稿を開いてくださり、ありがとうございます。
前回の一本目の投稿を読んだよ!と声をかけてくださった方々がいらっしゃって、すごく嬉しい気持ちになりました。

投稿期間が空いたこの1ヶ月の間、実は「ゼロイチ」というアクセラプログラムの夏合宿に参加していました。とても濃い、衝撃的な1ヶ月間だったので、このタイミングで現在地を残したいと思います。

教員不足問題との出会い

キャリア教育活動で見た、意外な事実。

僕は「伴走するロールモデルの不在」が起きている学校現場に、社会人のアクセスポイントを増やし継続化させることで、子どもたちの生き方・仕事の選択肢の幅を増やそうと思い、キャリア教育に着目していました。

最初は企業側がキャリア教育に取り組むメリットが薄いことが理由で、一部の余裕ある企業が行うCSR的な取り組みから抜け出せていないことを課題感に思っており、そのインセンティブ設計をどう工夫するかにばかり頭を割いていました。

しかし、活動を続けていると、すぐに違和感はやってきました。
あれ、自治体や学校側も思ったより乗り気じゃない?

僕は勝手に、学校側はキャリア教育を渇望していると思っていたんです。お話を聞いていると、「キャリア教育は大事かもしれないけど、正直それどころじゃないんだよね。」という雰囲気を感じることが多々ありました。これでは企業がキャリア教育に乗り気になっても、乗り気な学校でしか実施できないことになります。

ある自治体職員の方に思い切って踏み込んで聞いてみると、「学校にはまだまだ解決されてない問題が残っていて、既にアップアップな状態。そこに新しいことを導入しようとしても、"あなたの理想"としてしか受け取られない可能性が高い。」という旨のお話がありました。

僕はここ最近理想ばかり固めて、現実を見れていなかったのかもしれない。

ここから、改めて教育現場の課題を調べまくる日々が始まります。

ジュンク堂書店にて出会った、1冊の本。

僕は早速、Youtubeで「学校 先生 課題」など検索しました。
教育の領域は他の社会問題と比較してもメディアによって特集されることが多く、数々の記事や動画を見て、残業や校則、部活、不登校など課題も本当に様々あることも知りました。

ある時、梅田でふらっと立ち寄った書店にて1冊の本が目に入ります。
それが、朝日新聞編集委員の氏岡真弓さんの『先生が足りない』です。

釘付けでした。

中でも、教員不足という問題が子どもたちの学ぶ権利を具体的に侵害していることがとても衝撃的でした。自分には想像もつかないことが、実際に起きていたのです。

たまたま自分のクラスの担任が休んだことで、入れ替わり立ち替わり他の教員がやってくることになる。「困ったときにどの先生に相談すればいいの?」「結局、誰も見ていてくれない」。子どもたちから出てくるのは、見放されている、捨てられているという言葉である。

『先生が足りない』氏岡真弓, 岩波文庫, p.140, l1

プリントの自習が続くことで、学ぶことの楽しさを味わえないという問題も大きい。「学校で宿題をやっているようで、つまらない」と言った子どももいる。「他の学級から話し合いの声が聞こえると、うらやましいと思った」と言う子もいる。

『先生が足りない』氏岡真弓, 岩波文庫, p.140, l7

教員不足問題は教員の労働問題という側面だけでなく、子どもが学ぶ権利問題にも深く侵食していることがありありとイメージできました。子どもたちは教員不足に憤りや無力感を抱いたのです。

「社会を変えるイチを生み出せ。」の広告。

Quicken.のCONCEPTにも込めましたが、僕はキャリア教育に取り組んだ頃から、大人の事情に板挟みになり、その状況を受け入れるしかない子どもたちにこそ寄り添おうと決めていたので、まさに高校時代の自分と重なり、僕ができることをしようと決めていました。

しかし、教員供給の構造的問題や民間雇用等の外的要因、教育行政の保守的なカルチャー、過酷な労働環境、国・地方それぞれの教育政策の歴史的な背景。可能性を求めて慣れない論文にも手を広げましたが、複雑かつ壮大すぎて今の僕にはとても触れられる変数ではない、と感じていました。

そんな時、SNSの広告で流れてきたのが「社会を変えるイチを生み出せ。」のキャッチコピーでした。最初は他の広告と同様に流していましたが、5回目くらいにURLを開いてみたら、ベータ版の開発、計1ヶ月半の合宿。他のアクセラプログラムでは見たことがない本気度を感じました。経産省主催ということもあり、ミーハーの僕はますます興味が湧きました。

大学生対象だったので、学部4年の僕はこんな機会はもう二度とないと思い、応募を決意しました。

しかし、どうしても合格したかったので、多少は活動蓄積のあるキャリア教育問題でエントリー書類を作成し、締切2日前には完成していました。
少し早いけどエントリーしておこうと送信ボタンを押す直前に、手が止まりました。

これ、受かっても絶対に後悔するだろ自分。

合格が目的になっていました。正直、こういう選抜ありのプログラムは落ちたことしかないので無理もないのですが、保険に走ってる自分に嫌気がさしました。

書くと長くなりますが、半年前に真剣に休学を悩んだこともあった時も結局振り切れず、大手の就職を選び、周囲と比較してしか自分の存在価値を測れないために今までレールから外れることができなかった中途半端な自分にはずっと嫌気がさしていました。

こんな自分ごと、変えてやる。
この保身が本当の意味でチャンスを逃す悪魔だと半分無理やり言い聞かせ、締切前日から書類を白紙に戻し、教員不足をもとに0から書き始めました。

活動はほぼなくても、リサーチの量では誰にも負けないほど調べました。何も成し遂げていない自分に悔しくなりながらも、締切の数分前にやっと提出できました。

オリエンテーション、人生を変える覚悟が決まった。

選考が始まり、1次、2次と進んでいきました。選考期間が約1ヶ月という心臓に悪い長さで、毎日メールが来てはドキドキする毎日でした。

7月26日、最終結果はなんと合格でした。
最初は実感が湧きませんでしたが、ただただ「自分が感じてきた社会への違和感、そして信じてきた理想、燃やしてきた志は、何も間違ってなかったんだ」って社会に認められた感覚でした。今までやってたことが救われた感覚でした。本当に嬉しかったです。

そして合宿が始まる前に、オンラインでオリエンテーションがあるということでワクワクしながら入室しました。

4時間のオリエンテーションが終わりました。

そして、僕はすぐに内定先の人事の方に連絡しました。辞退の連絡です。本当にお世話になっていたので申し訳ないだけでは済まないことですが、心から応援してくださいました。感謝しかありません。

そして、大学の教務係に足を運び、休学の手続きを行いました。4年生の後期からなので最初は驚かれましたが、後に承認が下りました。

父母にも同時に連絡していましたが、もちろん反対してくれました。僕の人生を思っての反対なので、必ず大学を卒業すること、生活費も甘える気がないこと、とことん対話し、最後は応援してくれました。決めたら折れない性格なので半分諦めもあったと思うけど、本当にありがとう。

それぐらいの覚悟が問われたオリエンテーションでした。
共同でビジネスサークルを始めて3期目の中、日頃感じていた「ビジネス=課題解決」という言葉と実態の違和感が、ソーシャルビジネスという受け皿のおかげで救われたあの感覚は今でも忘れていません。

これからの人生が100%自分次第な状況に、そしてやっとその選択に振り切れた自分に、ただただ感動していました。

そうして、8月17日を迎え、夜行バスで東京入り。
怒涛の集中講義が始まりました。

君、教育はそんなに甘くないよ?

合宿スタート。エンジン全開。

合宿がスタートしてから、改めて社会問題の全体像を捉え直す日々が始まりました。参加メンバーも全員の社会問題に全員が自分ごとで、心理的安全性がすごい空間でした。誰も自分の物差しで相手の考えを決めつけることなく、それでいて夜中まで意見をぶつけ合える。全員が本気で実現に向いているからこそ、できる会話。
こんなメンバーに出会えた運の良さにびっくりです。

そして仮説1%、実行99%。仮説が見えたら即ヒアリングで検証します。たくさんの教育関係者の方に時間をいただきました。

ホワイトボードとにらめっこした時間は計り知れないと思います。ホワイトボード、思考整理や構造化にめちゃくちゃいいです。発散にも収束にも効きます。これは、小中高を通して一度も先生の板書通りにノートを取ったことがなく、自分オリジナルのまとめ方に変えるという変なこだわり習慣が僕に与えた贈り物かもしれないです…。笑

決めの問題で問われた"本当の覚悟"。

社会問題の全体像が見えてくると次に来るのが「決めの問題」です。
解決の糸口を探る中で、どこが定数で、どこに変数があるのか、当事者ヒアリングや教育制度、価値観をひたすら調べるものの、ビジネスで本質的な変化を与えられる余白がどこにもない気がしてきました。

そして、教員の労働問題として教員不足を捉えていた僕は、ヒアリングを続ける中、とんでもない違和感が生まれていました。

僕は人生を賭けてでも、本当に先生を助けたいのだろうか?

そんな気持ちを無意識に持ちながら、ヒアリングを続けていました。ある時、民間校長として大変著名な方とお話しする機会をいただき、いつも通りzoomを始めました。

「教育を変えるって言うけど、君、理想論で変えられるほど教育の現場は甘くないよ。」

数々の前例を変えてきた実績ある方だったので、本当に重い言葉でした。それだけのキャリアを積まれても、1学校を変えるのにどれだけの労力が必要か。僕には想像力も、必要な知識も、何もかも欠けていました。

「厳しい現実だが、教育系ベンチャーはほとんどが志半ばに潰れてきた。ぽっと出の1大学生に何が変えられるか、真剣に考えたことがあるか?
本当に教育を変えたいのなら、自分のキャリア選択をそこに捧げるほどの"本当の覚悟"があるか、一度問い直してみた方がいい。」

本当の覚悟。厳しくも、先人の愛あるお言葉だったと思います。
今まで、自分が目の前の社会軸ばかりに集中して、長い目で必要な自分軸を無視してきたことに初めて気付かされました。

そこから、目を背けてきた部分に問いを投げる日々が続きました。

「先生じゃなく、子どもたちなら助けたいと思うのか?」
「身近な困っている人だけでなく、同じ境遇の関わったことのない人まで助けたいってなぜ思うのか?その気持ちは本当なのか?」
「そもそも、なんで自分は数ある問題の中で教育を選んだのか?人生を賭けられるほどのテーマだと思えているのか?(必要であれば、今から先生を目指したり、教育系ベンチャーに入ったりして、準備期間を過ごす覚悟は自分にあるのか?)」

僕はどの問いにも、答えられませんでした。
感情が動くほどの当事者体験があったわけでもなく、猛烈にワクワク感を覚えるほどのアイデアもありませんでした。

僕はなぜ教育をやっているんだろう。自問自答が続きました。

自分は何も成し遂げていない、という焦り。

向き合った結果、僕は「自分が何者かになれなかった未来」に並々ならぬ恐怖を持っていることが分かりました。
幼少期に自己承認欲求が満たされることがかえって多かったために、周囲と比較して目立っていない自分が自分じゃない感覚で、できるだけ多くの誰かに特別な認知をされていないと、とてつもない不安に襲われます。

そもそもソーシャルビジネスにたどり着いたのも、おそらくこの性格が理由です。大学に入るまでは受験と部活という競争社会で承認欲求を満たせたのかもしれませんが、大学からは違いました。僕が所属する大学ではビジネスに活動的な学生は少なめと言われていて、大学の勉強でもダンスサークルでもたいして目立てなかった僕が僕でいられると見つけた場所がビジネス活動でした。しかし、大学では目立つかもしれないけど、ビジネスの世界は知れば知るほどプレイヤーが多く、自分なんかちっぽけに思えるような若者がたくさんいました。だから、ビジネス的に美味しくない領域なら誰も来ないから、続けることさえできれば自分でも第一想起になれる。そう思って社会起業に飛びついたのかなと、今振り返って思います。

もちろん、愚痴話を聞き流せないほど理不尽は嫌いなので、資本主義によって取り残されているが社会的に価値があるものに価値を見出したい。そういう気持ちもあったと思います。

そのため、将来の危機感や不安だけで動いてきただけで、実現可能性と課題の本質さでしか選択をしてこなかった。自分軸を考えていなかったんです。

ただひたすら「社会問題を解決し、誰かの明日を作った人」になりたかっただけなんだと。逆に言えば、教員不足の問題を知ったとき、これを解決したときの自分はすごい何者かになっていると想像してワクワクしてたんだと。

教育に人生をかけられないのにのめり込んでいられたのは、どこかで今の自分にもできるかも知れないと勘違いしていたからだと分かりました。

社会起業家はエゴイストなんだ。

でも、はっきりしたこともありました。
目の前の人生数年分くらいは賭ける覚悟はある。

生意気かも知れませんが、これが僕の出した答えでした。教育関係法から中教審の資料、判例、通知分、学術的な論文、吸収できるものはできるだけインプットしようと思えました。

できることは探さない。やるべきことをやる。

Better than better.
一旦今は教育と決めて、諦めをつけられるくらいまで逆に徹底的にやってやろうと、そのぐらいの覚悟はできました。
その過程で教育から離れることもしました。実際に身近な助けたい人(N=1)を探し、その人を起点に課題や原因を考えても、僕は人より仕組みに原因を求めるタイプのせいか、教育の問題に帰着することばかりでした。

起業は誰かにお願いされてやるもんじゃない。
自分のスタンスのとり方として、教育は間違ってないと思えています。

一方、スタンスをとったらその瞬間、その理想はエゴになる。だから、ソーシャルチェンジを起こす人間はより一層、責任を持たなければいけない。

改めて社会軸に戻り、教員不足問題を捉え直した結果、先生ではなく子どもたちを主語にして、課題や原因、そして理想を描き直しました。

そうしてAs is To be Gapを埋めていくと、理想実現のために絶対にブラしたくない「制約条件」ができました。

  1. 公立学校で実施できるビジネスモデルであること。

  2. 教員の不在だけでなく、パッチワーク状態も解決できていること。

  3. 現場の教員の負担が極力増えない設計になっていること。

何が何でも理想を実現しようとしつつ、でも現実的に可能かを計画し、社会で実行しないといけない。

そのために譲れない判断軸を優先度高く維持し続けられるかどうかが重要になるんだと思います。僕はここまでイメージできて初めて、理想が信念に変わると思えました。

信念は覚悟の上に成り立ち、理想を現実化するスタンスを示すものと言える。これがミッションなんだと、一歩成長できたと思えました。

可能性を見出すということ

敵は己のみ。小さくまとまるな。

人間は気付けば、傲慢になり、視野が狭まり、可能性を諦め、変化を嫌がる。そうして成長が止まる。

Lead the Society. Lead the People. Lead the Self.
自分で考える内省と外部に言語化する対話が、自己成長サイクルを回す。

何があっても、小さくまとまるな。大物ではなく、本物になろう。
組織はリーダーの器以上に大きくならない。

メンターとしてお世話になっているスマイルバトンの三原奈央さんや事務局の方々が、教員不足という難題の突破口に繋がるヒントを、たくさんくださいました。すでにたくさんの人に救われて、今の自分があります。

まだプロローグの途中。

合宿最後の発表会では、悩みに悩んだソーシャルコンセプトを固めることができ、違和感がない状態まで仮構築することはできたかと思います!

これからはビジネスモデルです。ソーシャルコンセプトと行き来しつつ、顧客インサイトの解像度をスピード感持って仮説検証していきたいと思います。7ヶ月のプログラムのうち、最初の1ヶ月が終わっただけです。あぐらをかいているヒマはどこにもありません。

プログラム全体が序章だと思って、壮大かつ愚直にいこう。
勝利の美酒はないと言われる教員不足問題に、最後まで可能性を見出します。そう覚悟を決めました。

最後に。ここまで読んだ皆さんへ。

こんな世界があったらいいよね。

っていう夢が、ここに9個ありました。
僕のも合わせて10個です。

夢七訓。夢を現実化するため、僕らは本気で向き合います。
社会にも、自分にも。

いつか誰かの明日をつくる僕らを、どうかよろしくお願いします。

※ご自身や周りに、こんな方はいませんか?

  • お子様が「担任の先生がいない、コロコロ変わっている、校長や教頭等が代わりに入っている学級」を経験されている方

  • 再任用教員として現場に関わっている方

  • 再任用教員の依頼を断ったことのある方

  • 教員免許を持っていて、学校現場に戻る道も考慮している方

  • 教育委員会の方(市町村、都道府県問わず)

  • 学校管理職を経験されている方

以下SNSのDMまたはNoteコメントにて、ぜひご連絡をお願いいたします。

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以上、2023年9月15日の現在地でした!

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