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Jun Miyake ~Lost Memory Theatre @「山羊に、聞く?」(2014.7.23)

(※2014年に書いた昔のブログ記事を、加筆修正しています。)

2014年7月23日、代官山「山羊に、聞く?」で作曲家の三宅 純(みやけ じゅん)のトークショー「Jun Miyake ~Lost Memory Theatre」に行ってきた。

もはや三宅さんは説明不要の作曲家だと思うが、近年はヴィム・ヴェンダースという、これまた素晴らしい映画監督が撮影したドキュメンタリー、「ピナ・バウシュ 踊りつづけるいのち」の音楽を手掛けられている。この映画は、ピナ・バウシュというドイツで国から「芸術家」として公的に支援され、2011年に惜しまれながら亡くなった天才ダンサー&振付師についてのドキュメンタリーだが、このサントラが本当に素晴らしかった。もちろん映画自体も最高なのですが、個人的に三宅さんのパーソナリティーが気になっていたところ、代官山でトークショーが開催されるということで、もう即参加を決意した次第である。

ちなみに、三宅さんのトークショーのお相手は30年来の友人という画家の寺門孝之さん。お互いの気心が知れた仲ということもあってか、非常にリラックスムードであった。基本的には昨年発表されたアルバム”Lost Memory Theatre"の act-1と新作act−2の楽曲を聞きつつ、それぞれの曲を作る上での制作秘話やエピソードが、語られるという贅沢なスタイルであった。自分が文字で書いてしまうと野暮になってしまう話もたくさんあったので、以下に特に心に残ったこと、面白いと思ったことだけ書き記しておこうと思う。

フィジカル

三宅さんが曲の流れについて説明をする際に、「フィジカル」という言葉を何度か口にしていた。例えば、「こうきたらこうというフィジカルな流れで、曲の進行や構成を作っていることもあります」 など。ダンスとの異様な相性の良さは、緻密に設計された部分だけではなくて身体感覚的な部分で作られていることが影響しているかもしれない。例えばこの曲。

ドラムの粗野なフレーズが、凄く耳に残る。よもするとある種のズレが、土着性にも似たプリミティブさ、人間のフィジカルな動きを想起させる。

経済は存在しない

ピナ・バウシュは素晴らしいダンサーや振付師という次元を超越した真の芸術家であったということ。何をいまさら、という話なのだが、逸話は非常に面白かった。ピナの劇団で使用していた音楽を、三宅さんがアルバムとしてまとめて編集し、いよいよ発表するとなった時、ピナはこう言ったそう。

「それは、売るものなの?」

三宅さんは、「ピナの体の中に経済は存在しなかった」と語っていた。国から芸術家として保護されている面も多分にあると思うが、表現することがピナにとっては全てであり、売り出すということは最早興味の範疇外であったようだ。さらに、表現を言葉で説明されたり、一部分を切り取られることをピナは極端に嫌っていたため、はじめはアルバムを売り出すことにも、かなり難色を示されたらしい。

質問から生まれる表現

また、ピナの特徴の一つに、質問から表現を作り出していくことが挙げられるらしい。それは生半可のものではなかったようで、禅問答のような問いをダンサーたちはピナにぶつけられ、質問をされ、答えを求められる。そしてダンサーたちは、身体表現によってその問いを探す。

「死とは」

「記憶とは」

「愛とは」

そうして、ダンサーたちが出した表現に対して、ピナがまた質問をぶつける、という終わりの見えない創作活動が続く、とのこと。(これはヴェンダースの映画でも一部を垣間見ることができる)。無論、その姿勢は音楽に対しても如実にあらわれていたそうで、三宅さんがピナに曲を作って出すとそれが修正されることは絶対にないそうだ。Yes かNOでしか答えをもらえないとのこと。三宅さんも「全ての仕事がこんな具合だと困ってしまうが、ピナとの仕事は本当に刺激的であった」と語っていた。ダンスは当然ダンサーが主役なので、三宅さんは通常ダンスの曲を作る際、「一つ骨を抜こうとする」のだそう。曲の中に全てを込めてしまうと、ダンスをする上で曲が過剰になってしまうからだとのこと。しかしながら、ピナの場合はそれをする必要がなかったそうで、本来思った意図ではない曲の使われ方をされても、全く違和感がなかったそうだ。

表現者としての三宅純

三宅さんは、他にもいろいろな話をまるでサロンで話すかのように、実に滔々と語っていた。でも最後に、ポツリとこんなことをおっしゃった。

「本当は、こういう自分の音楽についてしゃべったり、説明したりというのは嫌いなんです。結局、言葉で語れないから、音楽にしているので。」

三宅さんもピナ同様に素晴らしい表現者であると思った。ゴダールが映画でしか表現できないからこそ映画を撮り続けているように、そして答えのない問いに対し身体表現で答えを模索し続けたピナのように、三宅さんは音楽の表現を模索しているのは間違いない。それは、純粋な表現のカタチであるし、だからこそこれほどまでに魅力的な面白い作品を生み出しているに違いない。

なお、こじんまりとした規模のトークショーだったこともあり、たっぷり3時間半のトークショーを聞いた後に、質問をさせてもらえる機会があった。これだけ様々な曲を作ってきた三宅さんが、「大衆」というものをどのように捉え、どう意識しているかどうかが凄く気になったので、「三宅さんにとって、ポップスとはどういう音楽でしょうか?」と質問をぶつけてみた。

三宅さん曰く、「僕にとってジャズ以外の音楽は、すべてポップスです。」

少しはぐらかされた感じもするけれど、三宅さんにとってジャズが本当に好きな音楽であるのは間違いなさそう。とにかく大変楽しい夜だった。新作のLost Memory Theatre - act-2 -、まだ聞きこんでいないのだが、会場で聞かせてもらった曲を聞く限り、マストバイな気がしている。(※後日、購入しました。)


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