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楽しくなきゃ意味ないじゃん、って言えたなら

来年立ち上げるインバウンド向けストーリーウェブマガジン(我ながら長いな、でもこれ以上短くできなくて悩んでる)、mono.coto Japanの準備をしている。CSS書いたり、htmlいじったり、メール送ったり、編集したり、そしてもちろん書いたりと、大変地味な日々である。

インバウンド向けとはいえ、従来の情報を主体としたサイトではなく、そこに住んでいる人の個人のストーリー、しかも派手なものじゃなくてどちらかというと日々に根ざした、ささやかなストーリーをメインとしている。

上記のツイートに書いているように、私はそうした「一見役に立たないもの」の(良い意味での)重みや美しさ、与える勇気などを信じているのだけれど、ウェブや旅行の世界ってどちらかというと即効性が求められるので、これでいいんかな...と悩んだりする。

私は心配性ですぐ不安になるたちなので(逆に心配しないところではすごおおおくてきとーである)、いったんそのモードに入るとどうしようどうしようどうしようスパイラルにはまり、信じていることがぐらぐらしてしまう。

帰り道、5度を切っているからか頬のぴりぴりした痛みを感じながら、夫と並んで歩く。「ね、仕事で悩んだときって何を信念というか、軸にしてる?」と柄にもないことを聞いた。ん、どしたんー?と(笑)をつけながら、夫はこう言う。

楽しいかどうかじゃん?

と。

こんな(平和で物質的にも安定していて)恵まれた社会で、生きていく分はなんとか働ければ稼げる時代に、しかもたくさんのおもしろいコンテンツがタダで手に入る時代に、楽しいと思う仕事をしないと意味ないじゃん、と。仕事は究極のエンタメだよ、と。

夫は確かに良い企業の内定を私と住む家を決めに行く前日の夜10時に蹴り、好きだと思えるサービスをつくっている会社に入って好きだと思う仕事をしている。もちろん大変なことはあるだろうけれど、いつも楽しく働こうとしている夫に、「仕事は自分が楽しいかどうかだよ」とスパッと言われると、そうかあ、そうだよなあ、となんだか無性に気持ちがすうっと楽になる。目の前が明るく拡がる。

私は仕事ひとつとっても、どんなにやりたいことであっても気づいたら「やらなきゃいけないこと」に変えてしまう。良くも悪くも責任感が強くて、どんな仕事も重くしてしまう。仕事とか自分のやっていることの軸・信念も「社会の多様性と個人の尊厳の積み重ねにどれだけ貢献できるか」と大変生まじめかつカタイ。ほんと、我ながらカタイ。

だから、仕事は楽しいかどうかだよ、とさらっと言ってしまえる夫には、そういうところ叶わないな、と思う。

余談だが、結婚して1年半くらいしか経たない自分は人様に対して何の結婚のアドバイスもできる立場にいないと思っているのだけれど、それでも「結婚する相手を決める上で大事なポイントは何か」と聞かれるとするのなら、「これはほんと叶わないなあ」と心から思える部分を持つ相手と結婚することかな、と思っている(もちろん誰にも聞かれたことはない)。

そういう部分があるだけで、長く付き合っていくなかでどうしても見えやすい相手の苦手な部分、嫌な部分もすうーっと吹っ飛んだりするものだ。目を瞑れるというか。

逆に相手が思っている私の「叶わない部分」というと、たぶん「いつも活字読んでんね」(夫がいる時間は私の読書タイムのときが多い)と「ほんと丸いね」(顔のあらゆるパーツが丸で構成されているらしい)なので、たぶんその「叶わない部分」はささいなことでいいんだと思う。

それでは、また。


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