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皮まで食べればバナナはもっとおいしくなる~マラウイの学生が教えてくれたこと

ある休日、マラウイの学生2人を部屋に招いた。

彼らは曲作りを一緒にしていた教員養成大学の学生。新曲の打ち合わせだ。いつも金を持たずに腹を空かせているので、協力してもらう代わりに、過度にならない程度に心づけを渡したり、食べ物でもてなしたりするようにしていた。

その日は、バナナを1房、なるべくたくさんついているものを用意しておいた。サイズや本数、状態によっても違うが、マラウイで私が住んでいた地区で1房10~15本ほどついているそれなりのものを選ぶと100~200円程度。マラウイ人の収入から考えると決して安くはない。

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(バナナ、ミカン、マンゴー、どれも1個10円程)

曲作りが一段落ついたので、バナナを2本ずつ渡し、3人で食べながら世間話をしていた。

その時ふと、学生の奇妙な動きに目が留まった。バナナの食べ方が、日本人のそれと明らかに違っていたのだ。

どんな食べ方をしていたかというと、

①バナナを一皮むいたら途中で止めないで下までペロッとむき切る。
②むいた皮の内側の柔らかい部分を、歯でこそぎ取るようにして食べる。
③それを繰り返す。
④最後に丸裸になったバナナの実を食べる。

ちなみに私の日本の知り合いに1人だけ、皮をむいて丸裸にしたバナナを皿に載せ、ナイフとフォークで食べるという、おしゃれなバナナの食べ方をする人がいる。

しかし、今回は「バナナを丸裸にして食べる」ことに目が留まったのではない。「むいた皮の内側の柔らかい部分を歯でこそぎ取るようにして食べる」ことの方だ。


その学生に聞いてみた。

「それってマラウイでは普通なの?」

「もちろんタナカ先生と同じように食べるマラウイ人もいます。だから、これが普通かどうか分からないけど、私たちはこうして食べます。もっと言えば、食べ物に困っている時は、“皮ごと”食べることもありますよ」

その時は、黄色い外皮は残していたが、最後まで丁寧に皮の内側をこそぎ取って食べてくれた。

料理したものでなくとも、差し出したものをありがたがって食べてくれるというのは嬉しいものだ。10本以上付いていた大きめの1房を残らずたいらげてもらった。

この時はバナナだったが、きっとスイカを出したら「赤い部分がなくなるまで」ではなく、「白い部分がなくなるまで」食べてくれるのだろう。

カブトムシに渡すところがないくらい。

◇ ◇ ◇

「今は“ごちそう”ってなくなったわよね。スーパーに行けばたいがいのものはそこそこの値段で手に入っちゃうし」

日本に帰国してから久々に会った伯母が、戦後まもなくの頃の思い出話をしていた時に、ぽつりとそう言った。

「ごちそう」が何なのか、よく分からないほど豊かになった日本。

一方のマラウイでは、庶民のおかずは1食で握りこぶし1つ分ほどしかないことも多い。それも畑で採れる野菜や豆を塩だけで味付けしたおかず。

その質素なおかずを惜しむようにつまみ、お腹を満たすのは主食のンシマに任せる。肉がひとかけらでも入っていたら、ごちそうとなる。今でも、それが庶民にとっての当たり前。

私たちは同じ時代を生きているはずなのに、これほどにも違う。

◇ ◇ ◇

バナナの内側をもこそぎ取って食べる行為は、私の想像を超えていた。きっと、空腹の限界を経験した者でないと、バナナの皮の内側の価値は分からないのだろう。

飽食の日本から来た自分も、歯でこそぎ取る真似は一応してみた。インターネットを検索すると、「バナナの皮の栄養価は高い」なんて情報も出てきた。とは言っても、真の空腹を経験したことがないし、それが習慣として身に付いていないから、私の試みは三日坊主で終わってしまった。

全く同じものを食べていても、私が感じるバナナの甘みと、マラウイの学生が感じるそれは、きっと違っている。少し渋みの残る、あの皮の内側の味と価値を知っている人の方が、バナナの実の甘みをより深く感じられるのだろう。

◇ ◇ ◇


日本に帰国後、何度かバナナを食べた。

左手でバナナの下の方を持ち、右手で皮の3分の1ほどを残してむく。そして、上から実にかぶりつく、日本でのスタンダードな食べ方で。

困ったことに、そんな時には決まって、バナナの皮の内側を食べているマラウイの友のことが頭に浮かんでしまう。

「今ごろ彼らの方が、もっと甘くバナナを味わっているんだろうな」

何もややこしいことなんて考えずにバナナを楽しめればいいのだが、思考が自然とそうなってしまったのだから仕方がない。

これからもきっと、ふと、思い出し続けてしまう気がするけれど、自分はそれでどこか心地いいような気もしている。

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