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「感情的」を手離す努力

今月、「検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグが流行ったり、リアリティ番組「テラスハウス」に出演していた女性が自殺で亡くなってしまったことを受けて、人間の持つ「感情」というものについて日々、考えています。

今月起きてしまった上記の2件は、SNSで誹謗中傷が起き、ニュースで取り扱われるくらいの社会的な問題になったという点が似ています。

「検察庁法改正案に抗議します」の件は、
ツイッターで芸能人が「検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグをつけてツイートしたことで、批判や誹謗中傷が巻き起こりました。

「テラスハウス」に出演していた女性が自殺で亡くなってしまった件は、
番組内で、女性が男性と喧嘩をしたことで、SNSでの批判や誹謗中傷が女性に殺到してしまいました。

この2件を一通り見ていて思ったのは、わたしたち人間は、感情に流されやすい生き物だということです。

1.「感情が動く=刺激的」という事実

人間は誰しも「感情が動く=刺激的」と無意識に捉えていると思います。

感情が動かない毎日は刺激がなく、退屈です。
かと言って、自分の実体験として、泣いたり怒ったりなどの感情が起伏するような、大きな出来事が毎日のようにあったら、それは大変なストレスになってしまいます。

だから人間は、自分の実生活には直接的な影響を与えずに、感情を動かすことを日々求めているのだと思います。
例えば、感動やスリル、笑い、迫力、悲しみ、ときめきなどを求めて映画やドラマを見たり、噂話をして、あの人は酷い、あの人は素晴らしいなど、熱く議論したりします。
「感情が動く=刺激的」だから、「なになに?」と自分には無関係な出来事にも感心を持つのだと思います。

2.現実にエンターテイメントの要素を組み込む番組たち

その人間の感情を動かして、楽しませるのがエンターテイメントだとわたしは思います。

エンターテイメントは、受け手が違和感を持ったり、白けたりしないように、巧妙に感情移入させるように制作者側は努力して作っていると思います。

テラスハウスもそのエンターテイメントに属する番組ですよね。

テラスハウスに住む「男女六人の台本のない日常」を謳い、視聴者の感情を動かすように考えて撮影をし、編集をし、放送しています。

それは大きく言えば視聴者を楽しませる為、なのですが、楽しませるというのはハッピーにさせるだけではなく「感情が動く=刺激的」という構図から、出演者同志のいざこざなども感情をザワザワと動かせながら見てね、というような手法をとっていると思います。

これは、民放のワイドショーにも同じことが言えると思います。

実際にあったショッキングな殺人事件でも、ミステリー仕立てにして犯人捜しをしたり、被害者に同情を持たせる為に、被害者の人間性やプライベートのエピソード、遺族のコメントなどを流しています。

報道にエンターテイメント要素を足すことで、視聴者の感情を動かし、刺激を与える。視聴者は感情が動くと刺激を感じるので、ついつい見てしまう=視聴率が上がる、という仕組みなのではないでしょうか。

それが人間の性質であり、無意識に人間はそれを求めてしまっていると思います。

もちろんこの問題点に気づいている人は大勢いると思います。
そういった人が「現実とエンターテイメントを結びつけるような放送は止めよう」と抗議しても、求める人がいる(視聴率が上がる)限り、なかなかそういった報道やコンテンツは、この世からはなくならないのが事実だと思います。

「最近のテレビは規制が多くなって、つまらなくなった」ということもよく言われるし、規制に規制を重ねていっても、YouTubeなどで抜け道ができてしまいます。 

その為、メディアでもSNSでも、受け手側が感情を必要以上に煽られないよう、コントロールできるようになる必要があると思います。


3.感情的な行動は、更に感情的な人を呼び寄せる

そんな誰もが無意識に動かしてしまう「感情」というものですが、泣いたり、怒ったり、と度を超えて感情的になっている他人を見ると、だいたいの人が不快になるのも事実としてあると思います。

何故なら、それは共感ができないからだと思います。
他人と感情を100%共有することは無理なので、その為「なんでこの人こんな泣いてんの?」「そんなに怒る?」と冷めた目線で見てしまい、感情的になることを、みっともないことだと思う人が大多数いると思います。(それは電車の中などで怒鳴っているオジサンを見たりした時なんかもそうですよね)

その為、感情的になっている人は、そこにどんなに正当な理由があっても冷めた目線で見られてしまう。
本当にわかって欲しいから泣いたり怒ったりするはずなのに、悲しいかな、逆効果ですよね…

亡くなってしまったテラスハウスの女性は番組内で感情的になっていました。(それがやらせかどうかは、わたしにはわかりません)
現実だけを見つめて考えれば、問題はシンプルなことでした。トラブルが起きた男女二人とも悪いところもあれば、二人とも悪くないところもある。
でも、女性は今までの男性の行動などに嫌気がさしていたというのもあり、感情的に怒っている姿が番組内で放送されてしまいました。

そうして、彼女の感情的な姿を公に晒すことで、番組サイドは、視聴者の感情を動かそうとしたのだと思います。
「なんでこんなに怒ってるんだ?自分も悪いのに」と視聴者に憤りを感じさせる、もしくは「男女どちらが悪いのか?」という議論を巻き起こさせたい思惑があったでしょう。それが刺激になって、視聴者が増えればいいと。

感情的な人を見ると、つられて感情的になる人が現れます。
激しい感情は、負の連鎖を呼び起こしてしまうと思います。
「どうにかして、あの子が間違っているということを教えたい!わからせたい!」
それでテラスハウスの女性のSNSが荒れてしまい、その荒れた様子を見た人もまた感情的になる。
悲しいことですが、負の感情の連鎖が大きな波となってしまったと思います。

検察庁法改正案の件に関しても、誰かの作った偏った内容の画像(それは少女漫画の相関図のように政権批判をし、人々の不安や怒りをわかりやすく誘う内容でした)に感情を動かされ、反対だ!反対だ!と感情的になってしまう人(芸能人も含む)が大多数いました。

それを「感情的にならずに一度立ち止まって改正案について調べて考えてみようよ」という冷静な内容の批判をしている人も多かったですが、「お前の意見は間違っている」「わたしの好きな芸能人が叩かれてる!やめろ!」「間違ってても教えてあげればいいじゃない!」などを強い言い方で感情的にツイートする人を呼んでしまい、最終的には芸能人が政治の批判をしてはいけないのか、というSNSの使い方に論点がすり替わってしまったと思います。

4.感情的になることで生まれる弊害

人々は感情に突き動かされると、現実も真実も見られなくなります。
本当のものごとはシンプルなのに、一度感情的になってしまうと、複雑に絡んだ糸のようにほどけなくなってしまいます。

「むかつく」「ひどい」「そんなのまちがってる」自分の中で激しく感情が動くのは、人間だから当たり前です。

でも、その感情が暴走してはいないか、本当に現実だけを捉えた冷静なものなのか、なにか感情によっていらないものが上乗せされてはいないか、一度、ひとりひとりが考えることが重要だと思います。

わたしも自分自身、感情的になりがちな気質だと思います。
自分の悲しいという気持ちや怒りの気持ちをまず優先して誰かに共感してもらいたい、慰めてもらいたい、という、弱い気持ちは少なからずあると思います。
だからこそ、感情的になって不毛な議論に入り込んでしまいたくなる気持ちもよくわかります。

5.感情を手離す努力

こうだ!という強い感情をぱっと手放すのは、一見難しそうにも思えますが、ただ現実を見るだけで、幾分か変えられると思います。

「感情を抜きにして、自分の主張は押し通す必要があるのか?」
「感情を抜きにして、理屈だけで見てもそれは正解なのか?」
と、一度感情を抜く。現実だけを見つめる。

そうすると感情は落ち着き「正解も不正解も、角度を変えてみたら簡単に変わるのに、なにやってんだか」と頭の中が鎮火されていくのではないでしょうか。

感情的になるのは自分にとっても、誰にとってもメリットがないことです。

今回のテラスハウスの件も、女性が亡くなってから「悪いのは番組なのか」「出演者なのか」「SNSで誹謗中傷した人なのか」と更に議論することは必要ですが、感情的な正義感に駆られて、また誰かを攻撃するような波が起こったりもしています。

一度、立ち止まって、現実だけを見つめる、一人一人そんな意識が必要かと思います。

その上で、こんな悲しいことがもう二度と起きないよう、防止策、仕組みづくり、人々の意識の変化が起きればいいなと思います。


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