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人生の8割は胸騒ぎに満ちている

27歳、今の恋人と初めて海外旅行に行ったのは韓国だった。

行く約束をしたあと、ドライブをしているときに「旅行は行くまでが楽しいんだよね」と彼は言った。

真っ暗な夜で、対向車線の車の白いライトや信号の赤、建物の窓からの明かりなどの光が、いくつもフロントガラスの奥に散らばっていた。

そんなこと、今までの私は考えたことなどなかったので、頭の中で、旅行は行くまでが楽しい……と反芻し、本当にそうなのか…と、考えてみる。

いやいや、違う違う。そりゃ旅行に行くまでは確かに楽しみだけど、別に楽しみなだけだ。行ってみなきゃどんな旅行になるかわからないし、行くまでは不安も大きいし、行ってからの方が絶対楽しい、と思う。

見たことのない景色、味わったことのない空気感、見慣れない人々、日本では売っていない品々に心躍らせ、ずっと行ってみたかった場所に行く、食べて見たかったものを食べる。

ほら、行ってからの方が楽しいでしょ。

それに、行く前が楽しいと言うのなら、行った後の方が楽しいはずだ。

行った後は、撮った写真や楽しそうな自分たちの動画を見返して、旅行の余韻を味わう。どんな国だったか、どんな人がいて、どんなカルチャーで、どんなファッション、音楽、店の内装が流行っていたか。思い返しながら、その触れたものたちが新しい自分の感性を作っていく。

「いや、行く前より行ってからの方が楽しいでしょ」

私の頭は完全にもう、行く前より行ってからの方が楽しい派。

「えー、俺は行く前のこのドキドキする感じ、胸騒ぎする感じが好きなんだよね。だって行っちゃったらそれもう終わりじゃん」

へえ、そんな考え方もあるのか、と思いつつ、それじゃ旅行自体は楽しくないみたいでなんかなー、と思ったりしながら、車は家路へと進んでいった。



最近、29歳になってからしばらく経ち、自分がもう若くなく、年齢にまつわる本当の若さはもう一生戻らない、ということを実感するようになった。

それは鏡を見た時の皮膚のたるみとか、消えないクマとか、YouTubeやインスタグラムで活躍する人がみんな年下だったりとか、周りがみんな出産をして遊ばなくなっていくこととか。

頭ではわかっていたけど、なんだか若さというものは永遠で、自分が年老いていくなんてことは、どこか遠い未来の話だと無意識に思ってしまっていた。

もう自由に好きな服を着て、好きな時間に好きな友達と好きなことをして遊び、写真を撮ってもかわいく決まり、それをSNSに上げて、いいね、なんて生活はもう二度と戻ってくることはないのだろうと思う。

みんな、仕事や新しい家族との生活や、やらなければならないことをやるために、自分の位置についていく。よーい、スタートで、遊んでいた日々から自分の役割を全うする日々が始まる。


60歳の上司に、人生時計という話を教えてもらった。

80年の人生を24時間に例えるという話で、24時間÷80年=0.3

1年で0.3時間が経つと考えると、30歳は朝の9時だ。

思ったよりも早い時間だけど、考えてみると、確かに的を得ているような気がした。

計算してみると、0時~6時半の時間は、0歳~22歳の時間だ。

生まれてから22歳までの学生の期間は、睡眠時間ということになる。

起きてもいないなんて、学生時代は何もしていなくてもいいんじゃないかと一瞬思ったけれど、睡眠時間って馬鹿にできない。
良質な睡眠ができれば目覚めがよく、1日の活動も変わってくる。人生もそれと一緒で、学生までの時間をにいかに有意義に過ごすかによって、一生が変わってくるのかもしれない。

6時半~9時は、22歳~29歳になる。

社会人になってからの20代は、朝の準備、仕事にいくなら出勤中の時間だ。人生で言ったら、まだ独身で気楽な人が多い時期。自分の為に時間を使って気楽には過ごせるけど、これからに備えてきちんと準備をしておかないといけない、というような感じ。

そして、9時からは30代が始まる。

1日の残り時間はまだ十分にあるけれど、仕事や活動を始める時間だ。よーい、スタートの位置についてこれから本気を出していかなければならない。
午前中頑張っておけば、午後は楽になるのでひと踏ん張り。もしも午前中を寝て過ごして、昼に起きてしまった1日は、半日が無駄になってしまって充実した1日にはならないように、それと人生も一緒で30代の時間を適当に過ごしてしまうと、充実した人生になることは難しい、のかもしれない。


その上司は60歳なので、今は18時だという。

「もう帰って飯食って寝るだけだよ~」なんて嘆いていたけど。

18時は仕事の終業の時刻。これから飲みに出かけたり、習い事に行ったり、美味しい夕飯を食べてテレビを見たり、好きなことをして自由に過ごして楽しむ時間。だから人生も定年退職はこの頃なのかもしれない。仕事を引退して、趣味や旅行をして楽しむ時間に充てられる。



2年前、彼は旅行に行くまでが楽しいと言ったけど、徐々にその気持ちもわかってきた。

人生には何か大きなできごとが必ず誰にでも訪れて、(例えばそれは夢が叶うとか、子供が生まれるとか、家を建てるとか、親が死んじゃうとか)それが起きるまでの時間って、地味で何もないように見えて、沢山の何かが詰まっているよね。

人生時計のことを考えると、時間は目に見えて有限だ。

人生の8割は何もない平坦な道なのだから、その時間を楽しみたいと思った。旅行に行く前のわくわくのように、いつか結婚するのだな、とか、いつか子供が生まれるのだな、とか、楽しみに思っているだけの時間。
何か大きな出来事が起こる前の今現在も、何もないのではなく、貴重な時間なのだと思えるようになった。
結婚したらもう戻れないし、子供が生まれたらもう戻れない、今の時間。

人生が終わりに向かって進んでいくのなら、終わりという大きな出来事までの時間すべてが、貴重で面白くて、胸騒ぎに満ちている。

そう思うと、本当にドキドキして、胸騒ぎが起きてくるから不思議です。

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