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「走ることについて語るときに僕の語ること」(村上春樹)

もっと日本語の本を読むことにしました。この前の東京マラソン大会をきっかけに、村上春樹先生の「走ることについて語るときに僕の語ること」を読みました。

この本を読んだことがありますが、それは13年前に英語のバージョンを読んだのです。全体的に、どこが面白いかったのかは曖昧なのですが、具体的に下記の2つの部分は記憶しています。

タイトルの「走ることについて語るときに僕の語ること」はその二つのうちの一つです。村上先生の敬愛する作家Raymond Carverの「What We Talk About When We Talk About Love」を原型として使わせてもらったタイトルだそうです。先生は、これは「マラソンランナーの心得」や「健康法」のような本ではなく、所詮「思いを巡らしたり、自問自答しているだけ」という本だと主張しています。それで、ランニングに関わっていることもランニングに関わっていないことも書いてあります。まだ30代前半の私は、この本を読んでから、スポンジのごとく、村上先生のこの本に色々教わりました。第1章の「友情や仕事とセックスをからめない」というランニングと全く関係ない教訓を、今回もう一度読んだら、村上先生から学んだことを思い出しました。「そっか、友情とセックスを絡みべからずか」、ということをその頃から頭に銘じて、その本能がまだあった30代を、なんとか「絡んでいないまま」過ごせました。

もちろん、本のメインは走ることです。正確に言うと、単なる「走ること」ではなく、「走る際の気持ち」なのです。今の時代のAIがどんなに優れていても、「気持ち」というモノを他人に直接注ぐ「以心伝心」の方法はまだないです。それで、生であったことがない人同士が、文章の文字、絵画の製図、歌曲の旋律、動画の映像で、気持ちを伝えあっています。先生は、作家として、ランナーとして、うまくランニングの気持ちを描けるのは、多分、文字で描写できる文才、気持ちに直面できる誠実さ、そのどちらも持っています。ランニングしている時に、どんなことを考えているか、私が始めたばかりの時にも姉によく聞かれましたが、うまく説明できなかったです。村上先生は、「頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている…でも空はあくまで空のまま。雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。」と書いていました。実際にマラソントレーニングしている私は、この段落を読んだら、ビンゴと感じるしかないです。

走ることとは、嘘をつけない運動だと思います。この本の中で書いてある村上先生のマラソン大会やトライアスロンの出場経験を、誰もがネットで検証できます。この本の中の先生が出たニューヨークシティマラソンのことを読んで、私も先生の名前で検索してみました。本当に先生の大会の結果が現実のサイトに出て、「ああ、本当だ!」と新大陸発見のように感じました。それで、先生が描いている経験や感情を、より一層実感できます。つまり、私が好きなドラゴンボールの孫悟空やポケモンのサトシと違い、この本は実話だ、と強く感じながら読んでいました。こうして、先生が書いた練習不足の経験も、道である素敵な若い女性と毎朝顔を合わせてささやかな喜びを感じたことも、もっと共感できました。

他のチャプターには、アメリカでの練習やマラソン大会、ウルトラマラソン、怪我の経験、トライアスロンの練習と試合など、共感できたり参考になったりできる内容がたっぷり書かれていますが、もし誰かマラソンやトライアスロンを始めるためにこの本を選んだら、がっかりするかもしれません。でも、私にとってこの本は正解だと思います。先生は「僕はそのようにして走り始めた。三十三歳。イエス・キリストが死んだ歳だ。」と書いています。偶然に、私がマラソントレーニングし始めた歳もイエス・キリストが死んだ三十三歳です。そして、同じ趣味を引き続きすることも、大学時代から知り合った妻とずっといることも、子がいないことも、「村上先生と同じだ!」と勝手に思っています。つらいトレーニングしている時に、この本の村上先生のことを思い出すと、バーチャルパートナーのような誰かが一緒に頑張ってくれているようで、癒されます。

ランニングの気持ちをもっと上手に描写している本があるか、村上先生よりもっといい作家がいるか、どちらにも答えられません。元々、著者が村上先生だからこそ、この本を選んだことも否定しません。いくら日本語を勉強していると強調していても、恥ずかしながら、教科書以外、漫画以外、語学交換パートナーさんがオススメしてくれた青い鳥文庫の一冊以外、こっそり買った本田翼の写真本 「ほんだらけ」以外、この村上先生の本は私の初めての日本語の本です。この本を読んだことを境にして、これからもっと日本語の本を読んで、この本を基準として他の本や作家と比べてみたいです。

13年前にこの本を読んだ時の具体的な記憶の二つ目は、先生自身がもし自分の墓碑銘の文句を選ぶことができたら刻みたい言葉についてです。

「少なくとも最後まで歩かなかった」

私が勝手にバーチャルパートナーに慕っている村上先生を鏡に、人生の最後まで怠りたくないです。

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