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第170回 能登地震の共助による避難所運営の事例(輪島市鵠巣地区)


質問 能登地震での共助による避難所運営の事例を教えてください。

概要

 ①孤立した輪島市鵠巣地区
 ②湧き水や住民から借りた発電機を活用
 ③東日本大震災や熊本地震経験者が支援
 ④料理人や農家の住民による食の支援

解説

①孤立した輪島市鵠巣地区

 輪島市の東部にある鵠巣(こうのす)小学校区は、2024年1月1日の能登地震で周辺道路が、がけ崩れ等により寸断され孤立しました。初めて支援物資が外部から届けられたのは、被災9日目で、ヘリで支援物資が運ばれてきました。薬品の輸送にドローン等も活用され、住民や自衛隊が担いで運ぶこともありました。
 当該地区では、300人が小学校や公民館で避難生活を送っていました(当該地区全体で約700人孤立。)。
 電気、ガス、水道等のインフラが停止し、携帯の電波も弱くてつながりにくい中で、当該地区には、給水車が入ることができず、仮設トイレを搬入することもできませんでした。

②湧き水や住民から借りた発電機を活用

 小学校に設置した避難所については、市の職員がいないため、住民が中心になって声をかけあって避難所運営を行っていました。
 断水が続いているため、トイレ、洗濯物等は、湧き水、雨水、雪解け水等で対応をしました。
 また、停電が続いているので、住民が所有する発電機を借りて、小学校の建物等に電気を供給しました。
 さらに、料理のために、住宅に設置されていたプロパンガスを利用したり、住民が自宅に備蓄していた食材や器具を持ち寄って調理を行い、共助による自給自足の体制で10日以上対応しました。

③東日本大震災や熊本地震の被災経験者が支援

 帰省中だった東日本大震災や熊本地震の被災経験者が、避難所運営を支援しました。また、市役所の職員が、住民の中にいたことから、市ともうまく連携することができました。
 特に、避難所運営については、被災経験者たちが過去の経験をいかして、運営体制を組んだり、居住地区ごとに部屋割を行い、安否確認を迅速に実施したりもしました。そして、朝夕にミーティングを行い、各部屋で体調の悪い住民が出ていないかを、丁寧に確認したのです。

④料理人や農家の住民による食の支援

 避難所での食事については、住民に料理人や農家がいたことから、食材や料理器具が持ち寄られ、朝夕の炊き出しが実施されました。その際には、前述の湧水、発電機、プロパンガス等が利用されたのです。
 その他、コロナの危険性が指摘される中で、湧き水を利用して消毒を徹底し、感染症を予防したり、トイレについては、使用後は湧水で流し、合併浄化槽で対応したり、避難者自らトイレ掃除やごみの分別を推進したりもしました。避難住民は、学校再開に備え、きれいに避難所を利用したいという気持ちが強かったのです。
 支援物資は、区長が地区の事情を把握しており、自ら在宅避難者のところに運びました。このような活動が可能になったのは、日頃の「子供会」の活動をはじめとする地域活動が、地区の人間関係形成に影響していたためだと思われます。

参考文献
・2024年1月12日『MBSニュース』「【孤立状態】毎日生きるために必死。前向くしかない状況 電気・ガス・水道は止まったまま...避難所のトイレは雨水をためて流す 道路寸断で孤立状態となった輪島市『鵠巣地区』」.

・2024年1月10日『TBS NEWS』「電気も水道もない トイレは雨水 歩けない高齢者を担架に乗せ、急な斜面を避難…疲労が限界に近づく“孤立地区”の今」.

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