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西洋近代と日本語人 第2期[番外編2の11]

西洋哲学史と近代日本(2)続き

4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)

4.4 愛の思想について

4.4.1 愛と意志

まえおき――前回への補足
408.  前回(番外編2の10)では、まず西洋思想における愛と意志を取り上げて、それがどのようなはたらきなのかを検討しました。そして、日本語における意志(「意志 J 」)の特徴を、西洋諸語における意志(「意志W」)と対比して箇条書きにして示しました。今回は、日本思想における愛を取り上げます。が、その前に、前回の内容について、ひとつ補足します。

409.  前回、意志Wと愛の結びつきを“A Deeper Love”という歌の歌詞を引いて確認しました(390, 391)。この歌の主人公は、毎朝、ベッドから飛び起きて、服を着て、日々の暮らしのため、必死で働きに出る。それは簡単なことじゃないけれど、助けはいらない、自分には意志があり、愛があるんだ、と歌います。この歌について、これは「自分の信ずる善へ向かって生きて行く日々の決断こそが、意志Wであり、深い愛なのだ、と告げる歌」(391)であると解説しました。しかし、この解説だけでは、意志Wが同時に愛であることの理由づけが不十分に感じられます。

410.  歌詞のかなめの部分は以下のとおりで、“will 意志”と“love 愛”の二つが対応して並びます。が、並んでいるだけなので、どうして意志Wが愛なのかは分かりません。
 
I've got a strong will to survive
I've got a deeper love, deeper love
Deeper love inside
 
わたしには生きのびる強い意志がある
わたしには深い愛がある
わたしのうちに深い愛がある
 
この人物に生きのびる強い意志があり、愛があるのはよくわかる。でもなぜ、その意志が、同時に愛でもあるのか。この点を補足しておきます。

411.  これに先立って、キリスト教神学を参照し、愛とは〈行為者が、自分の外にある何ものかに対し、何らかの善を目指して、自分からはたらきかけること〉であると述べました(番外編2の10:377)。この図式に合わせると、この歌の主人公は、まわりの社会に対し、自分の暮らしが少しでも善くなるように、自分からはたらきかけている。さしあたり、こう言えます。

412.  しかし、それゆえ毎日働きに出るこの人の強い意志は、そのまま愛なのだ、と言うと、それは違う感じがする。この人にあるのは、自分の暮らし向きを好くするという利己的な動機なので、このかぎりでは、その意志を愛とは呼べない。自己愛はある。でも、自己は「自分の外にある何ものか」ではない。自己愛はここで考えている愛とは違います。

413.  前回も紹介しましたが、歌詞の、引用を略した部分に、盗み(stealing)も違法取引(dealing*)もインチキ(cheating)も裏切り(back stabbing)も貪り(greedy grabbing)もしないのだ、わたしには深い愛があるから、という部分があります(番外編2の10:391)。この部分が意外に大事なようです。

注*: 歌詞には“stealing, dealing, not my feeling”とあります。“dealing”は、麻薬取引(drug dealing)のような違法取引を連想させます。

414.  狡く立ち回らず、清廉に、正直に、欲張らずに生きる。このときこの人は、まわりの社会に対し、善を為している。つまり、自分が正しく生きることで、社会が少しでも善くなるようにはたらきかけていると言えます。自分にとっての善をめざしているだけでなく、同時に自分の外の世界の善をめざしている。こうであって初めて、毎日働きに出る強い意志が、そのまま愛でもあることになる。つまり、その意志は、世界がより善くなることを欲する気持ちであるがゆえに、世界への愛なのです。自分にとっての善だけでなく、自分以外の世界にとっての善をめざすことがともなうとき、意志は世界への愛になる。

415.  念のために言うと、この歌詞には、狡く立ち回らず清廉に生きることがうたわれていますが、一般的に、必ず常識的な徳目を守れ、ということではないでしょう。世界の善を願う意志がともなうかぎり、常識的な徳目を破ることもまた世界への愛である場合がある。この点については、後に述べる機会があるかもしれません。

愛とは何か ――日本思想の場合
416.  日本において愛がどのようにとらえられてきたのかは、「愛」という言葉にこだわると、かえって分からなくなります。柳父章によれば、現代日本語の「愛」は、明治期に“love”の訳語として『英華字典』から取り入れられました*。「愛」を西洋語の“love”や“amour”に対応させるのは、近代になって中国から輸入された習慣らしい。

注*: 柳父章『翻訳語成立事情』(岩波新書1982)pp.95-96。

417.  「愛」という語は中国語には古くからありました。大野晋の編集した『古典基礎語辞典』(角川学芸出版2011)を見ると、日本語においても、『万葉集』の山上憶良の歌の詞書に「愛」の用例がある。ただし、歌自体には「愛」も、サ変動詞「愛す」も用いられておらず、「愛・愛す」は平安中期までの仮名文学作品には見られないとされます。だが、漢文訓読文では平安初期から用いられていた。そう説明されている。

418.  「愛す」の意味は、漢文訓読文では、「価値あるものとして認め大切にするという意味」が主である。他方、漢文訓読文以外では、「人間の場合、親が子を、男が女をというように上位者が下位者を我が物としてかわいがるという意味」であり、「動物や物に対しては気に入って我が物とするという意味」である。ともに、「執着につながる気持ちによる行為を表す」ことが多いと付言されており、「愛」を否定的なものとした仏教の影響があると推定されています。

419.  近代以前の「愛・愛す」の意味は、この説明を見るかぎり、“love”と重なる部分はあるけれども、かなりずれています。“love”は、大ざっぱに言えば、なんらかの善(よいもの・よいこと)を欲する心理なので(番外編2の10:369-372)、それが所有欲や執着と結びつくことはありうる。しかし、身分の上下とはかかわりがない。

420.  現代日本語で「愛」と呼ばれる心理を、近代以前の伝統的な心性のなかに求めるなら、「愛」という語にこだわらず、別の方向を探る方がよい。小谷野敦の編集した『恋愛論アンソロジー』(中公文庫2003)を見ると、明治以前の日本の文献としては、遊里の性愛を論じた仮名草子や遊女評判記などと並んで、本居宣長(1730-1801)の『紫文要領』の短い抜粋が収録されています。

421.  『紫文要領』は、『源氏物語』がどう読まれるべきかを論じた著作です。愛欲を描く不道徳な書とする儒教的な批判や、愛欲の果てに仏教的な悟りを得るのが主題であるといった説をしりぞけて、宣長は「もののあはれ」を解することの意義深さが主題であるというとらえ方を打ち出した。

422.  小谷野敦の解説によれば、宣長は「恋という感情が、世俗的規範を乗り越えて働いてしまうものであり、これに答えるのが「もののあはれ」を解する人である」(p.128*)ととらえて『源氏物語』を読み解いた。「宣長的な恋愛礼讃の立場に立つ『源氏』の読み方が一般化したのは、昭和以降のことである」(同上)とあります。宣長は、『源氏物語』の読み方を一変させた。そして、現代日本語で「恋愛」あるいは「愛」と呼ばれる心理は、これを肯定的にとらえるとき、近代以前の日本語においては「もののあはれ」という概念を媒介とすることがある。こう考えることができるようです。

注*: p.128は、小谷野敦(編)『恋愛論アンソロジー』(中公文庫2003)の頁付け。

「物のあわれ」の用例
423.  本居宣長の説明によれば、「物のあわれ」*とは、事物に接して私たちが持つ感情的な認知反応一般を言います。広く解せば、これは西洋の哲学者たちが「魂の受動(a passion of the soul)」としてとらえた情念(a passion)一般に該当する(番外編2の10:375)。近代日本語の「愛・愛する」に相当する心性は、前近代においては「物のあわれ」の一部門ということになります。

注*: 以下、「もののあはれ」「物の哀れ」「物のあわれ」など、さまざまな表記をしますが、引用では原文にならって表記し、地の文では「物のあわれ」と表記します。

424.  一口に「物のあわれ」といってもさまざまな情念を含むわけです。悲哀感にかぎらない。人は何かに接すると、面白い、おかしい、恐ろしい、めずらしい、憎い、いとおしい、かわいそう、などと感じる。そう感じたことをそのとおりに、物事のあり方としてとらえることが、「物のあわれ」を知ることであるとされる。

「すべて見ること聞くことにつきて、面白しとも、をかしとも、恐ろしとも、珍しとも、憎しとも、いとほしとも、哀れとも思ひて心の動くは、みな感ずるなり。さてその物事につきて、よきことはよし、悪しきことは悪しし、悲しきことは悲し、哀れなることは哀れと思ひて、その物事のあじはひを知るを、物の哀れを知るといひ、物の心を知るといひ、事の心を知るといふ。」(『紫文要領』64頁*)

注*: 日野龍夫(校注)『新潮日本古典集成 本居宣長集』(新潮社1983)所収の『紫文要領』の頁付け。以下同じ。

425.  吉川幸次郎は、この箇所について「「物の心をしる」「事の心をしる」すなわち存在の本質への接触が、すなわち「物の哀をしる」である」*と説明しています。「存在の本質」と言うと仰々しいのですが、事物に接して、なんらかの感情を喚起されながら、そのもののあり方をとらえることが、「物のあわれ」を知るということ。短くいえば、一定の感動を伴ってある物をその物として知ることです。

注*: 吉川幸次郎「文弱の価値 ――「物のあはれを知る」補考――」615頁、吉川幸次郎、佐竹昭広、日野龍夫(校注)『日本思想大系 本居宣長』(岩波書店1978)所収。

426.  こう説明されると、大層な専門用語のように聞こえますが、「物のあわれを知る」という言葉は、江戸時代人の生活の中でごくありふれたものだった。これは、上で引いた『新潮日本古典集成 本居宣長集』の日野龍夫による「解説 「物のあわれを知る」の説の来歴」(以下、日野「解説」)で知ったことです。この、「物のあわれ」が普通の言葉だったという事実には、かなり驚かされました。

427.  例えば、為永春水の人情本『春色梅児誉美』に「物の哀れ」という言葉はしばしば出てくる(日野「解説」511頁)。「通俗文学の作者の中でも無教養・不見識の部類に属する春水が宣長の著作を読むなどということは、まずありえない」(同512頁)のだそうで、つまり、その用例は宣長の著作とは独立である。ほかに「物のあわれを知る」という言葉は時代物の浄瑠璃にも頻出するそうです(同513頁)。そのひとつに

「生きとし生ける物ごとに、物の哀れは知るものぞ。とりわけ武士は情を知る。みづからはともかくも、この子が命を助けたい。慈悲ぢや功徳ぢや後生ぢやと、涙とともに詫び給ふ」(日野「解説」513頁)

これは『ひらかな盛衰記』の三段目、朝敵の汚名を着て敗死した木曾義仲の御台みだい山吹御前やまぶきごぜんが、木曾の残党を探索していた番場の忠太に見つかって、一子駒若こまわかの命乞いをする場面の語りです。

428.  物のあわれを知る人、つまり、一定の感動を伴いつつ眼前の出来事の本質をとらえうる人ならば、母親の必死の懇願に心を動かされ、いたいけな子供の首を刎ねるのは思いとどまるだろう。そんな洞察がここに現れている。かくして、「宣長の「物のあわれを知る」の説の源泉は、明らかに江戸時代のごく普通の生活意識の中にある」(日野「解説」515頁)と言われます。

429.  この日野「解説」の主張が、学界で広く受容されているかどうか私には判定がつきかねますが、信憑性は高いように思います。「物のあわれ」は同時代の普通の言葉だったという日野の説を受け入れて、それを宣長がどのように使っているのかを問題にしましょう。

宣長における「物のあわれ」
430.  『恋愛論アンソロジー』所収の『紫文要領』抜粋は、次のような一節から始まっている。編者による現代語訳で引きます。

「たとえば人の娘に思いを掛けてしんそこ懸想する男がいたとして、その男がひどく恋慕って命も絶えんばかりに耐えがたく思い、そのことを相手に告げたとしたら、その女が、その男の心を哀れに思って、父母に隠れてひそかに男に逢う*こともあるかもしれない。これを論じてみると、男がその女の美しい容姿を恋しく思うのは、物の心を知り、物の哀れを知るものというのである。というのは、美しいものを見て美しいと思うのは、物の心を知っているからである。また女のほうで、男の気持ちを哀れだと思うのは、やはり物の哀れを知っているからである。」(『恋愛論アンソロジー』pp.128-129)

注*: 編者注によれば、「「逢う」とはセックスすること」です。

431.  この男が、この女の美しい容姿を美しいととらえて恋い慕うことは「物の心を知り、物の哀れを知る」ことである。また、この女が、その男に会ってセックスするのも「物の哀れを知っている」ことを示している。美しいものを美しいと見て動かされるのが「物のあわれを知る」ことであるのは、すでに見た通りです。しかし、女の側における男への気持ちの動き方は、これと少しばかり違うように見えます。すぐに判明しますが、本質においては違わない。ただ、見たところ、ちょっと違う。

432.  「女のほうで、男の気持ちを哀れだと思う」は、原文では「女の心に男の心ざしを哀れと思ひ知る」とある。趣旨を補って現代語訳すると、

「女は、心の中で、自分に向けられた男の気持ちを「ああ、なんとまあ」と深くわかる」

くらいでしょうか。「あはれ(哀れ)」は、「漢文に「嗚呼ああ」といふと同じこと」(『紫文要領』110頁)とある。「「ああ」も「あはれ」も同じことばの転じたるもの」(同)で、「何にても心に深く思ふ事を嘆息する」(同)さまを言う。もとは感動の嘆声「ああ」です。女は、こちらを恋い慕う相手の男の感情をありありと想像し、その気持ちに「ああ、なんとまあ」と感動する。で、逢って寝る。女は、自分の心の中で相手の感情を擬似的に体験し、その想いの深さに感じ入るわけです。これは感情移入エンパシー(empathy)の例であると思われます。

433.  感情移入はかつて扱ったことがあります。本ブログ第1期の「その3」の3.32と「その4」の3.54です。その説明をかいつまんで示すと、「感情移入 empathy」と「共感 sympathy」は、日本語でははっきり区別されないけれど、英語では区別される(その3:3.32)。

「感情移入」は、「相手が感じているように感じること(feeling as the other feels)」あるいは「他人と一緒に或る気持ちをもつこと(to feel with someone)」です。

「共感」は、「相手への気遣いをもつこと(feeling concern for the other)」あるいは「他人のための気持ちをもつこと(to feel for someone)」です。

上の恋愛の例では、女は、男の恋い焦がれる気持ちをありありと想像し、その気持ちを相手と同じ仕方で一緒に感じて、その気持ちに動かされる(その4:3.54参照)。そういうことでしょう。だから感情移入に該当するわけです。

434.  仮に、女が、男の恋慕の情を理解しても、その気持ちを相手が感じるように感じはしないとしたら、つまり理解はしたものの、その気持ちを相手の身になり代わって同じ仕方で感じるわけではないとしたら、女は相手の気持ちに動かされない。これは上で言う「共感」に該当するでしょう。ただし、日本語では、「共感」よりも「同情」の方がいいかもしれません。同情したからといって、必ずしも相手の期待したとおりに動かされはしない。これに対して、女が、相手の男の気持ちを、相手の身になり代わって同じ仕方で感じたなら(感情移入したら)、その気持ちに動かされることになる。

435.  全然別の例で考えてみます。紛争で国を追われた難民の写真を見たとき、相手の身になり代わって同じ仕方でその苦難を感じた場合(感情移入した場合)は、その想像上の苦難の感じに動かされて、現実の自分ができることをせずにはいられない。難民支援組織の募金に応じたり、支援行動に参加したりする。つまり、自分の想像上の体験に動かされて、現実の自分が行動することになる。他方、苦難を理解はしたものの、相手になり代わって感じるまでには到らないとしたら(共感・同情の場合)、現実の自分は動かない。

436.  こうして、「物のあわれを知る」ことは、典型的には、感情移入という仕方で物事に相対することをいう。そう考えてよさそうです。ただし、感情移入は、相手が人間でないと(少なくとも生き物でないと)成立しません。相手が無生物だったら、「相手が感じているように感じる」事態は成立するわけがない。事物に対するとき、「物のあわれを知る」とはどういうことか。

437.  宣長は、以下のような意外な例でそれを説明しています。概要をいうと、とにかく、世の中のあらゆる事に、それぞれ物の哀れはある。たとえば、一家の所帯の世話でも、物の哀れはある。所帯をもって、無駄な出費があったような場合、これは浪費だとわかるのは、事の心を知るということだ。そして、自分の心の中で「ああ、これは浪費というものだなあ」と感じ入るということもある。こういう風に感じ入るというのが、所帯の世話について、事の心を知り、物の哀れを知るということだ。浪費があってもそれを何とも思わず浪費を続けるのは、それが浪費だと心に感じ入っていないのだから、所帯の世話について物の哀れを知らないのだ。(『紫文要領』127頁-128頁)

438.  この例は、『源氏物語』を論じた書物の例としては、ずいぶん予想外で面白い。吉川幸次郎は、この所帯の費えの例について、「松阪の木綿問屋の子であった宣長の幼児の経験から発想された」(前掲(424)、599頁)ものではないかと推測しています。宣長の育った家はかつての富裕を失っていく過程にあった。賢婦人だった母親が、「過誤の濫費を偶然に犯したとき、発したであろうしみじみとした嘆声、ああもったいない、それへの記憶」(同600頁)が、この例の背後にあるのではないかというのです。そうかもしれません。

439.  宣長は、出来事の本質を把握し、かつその事を心に深く感じて、自分の行動を当該の本質に適合するようにあらためる、ということが、「物のあわれを知る」ということだ、と言っている。対象が人でも物でも事でも変わらない。人の場合は、その人の気持ちを感情移入によって深く感じて行動する、物事の場合は、その物事の本質を深く感じとって行動する、それが宣長の考える「物のあわれを知る」ということです。

「物のあわれを知る」ことと現実世界
440.  本当に深く感じ入ってわかれば、行動があらたまる。行動があらたまらないのは、本当に深く感じてわかってはいないのだ。このように整理すると、宣長の説はなかなか興味深い。これは、ある意味で危険な主張になります。知ることと為すことのあいだに区別があるのは、「物のあわれを知る」人ではない。「物のあわれ」を知る人ならば、浪費を本当に認知すれば、倹約にはげむのであり、相手の恋慕を深く思い知れば、父母に隠れて逢って寝るのである。このように、感情的な理解の深さと自分の行動が切り離されない人が出現します。

441.  先に見たように、小谷野敦は「恋という感情が、世俗的規範を乗り越えて働いてしまうものであり、これに答えるのが「もののあはれ」を解する人である」(422)と解説していました。たとえば、光源氏と藤壺中宮の関係は、物のあわれを知る者同士における「たがひに物の哀れの忍びがたきところありつらんゆゑ」*の関係とされている(『紫文要領』184頁)。すぐれた人は、物のあわれを知るゆえに世俗的規範を乗り越えざるを得ない事態に立ちいたる。では、「光源氏と藤壺中宮のような「不義密通」については、虚構の中だから許されるのか、現実にも行ってもいいのか、宣長の論は曖昧なままである」(『恋愛論アンソロジー』p.128)。

注*: 「おたがい相手の真情に感じ入って自分を抑えきれなかったのであろうがゆえ」。

442.  宣長はどう言っているか。再び編者の現代語訳によると、

「物語の中にはこういうものが特に多い。命がけの恋をするのは、物の哀れの中でもいちばん深いことであるから、こうした恋物語が多いのである。それを書きとどめる意図は、それがいいことだとして人に勧めるためではなく、悪いことだとして戒めるためでもない。それが行動としていいか悪いかは別として、ただ物の哀れに関心を寄せているだけなのである。これを儒教、仏教の教えに照らせばどうなるだろうか。親の許しを得ない女に恋をするのも、親の許さぬ男に逢うのも、いずれも教えには背いている。悪である。けれど物語は其の善悪には関知せず、それが物の哀れを知っているからいいとするのだ。これは、善悪の指し示すところが儒仏の教えと異なっているのではないか。だからといって、淫らな行為がいいと言うのではない。それは取り敢えずのけておいて、物の哀れを取るのである。ここの所をよく理解しなければならない。」(『恋愛論アンソロジー』p.129)

 要するに、宣長は、物語と現実世界では価値の規準が違うのだ、と主張しているわけです。物語が命がけの恋を描くのは、善を勧め悪を戒めるためではなくて、物のあわれに関心を寄せ、それを描くからだ。儒教や仏教のいう道徳上の善悪ではなく、物のあわれを知ることの価値を重視する。淫奔がいいと言うのではない。それは棄ておいて、物の哀れを取るのである。

443.  これを端的に言うと、

「よき悪しきの指すところ、漢文の書と物語と異なり。物語のよきとするは、物の哀れを知る人なり。悪しきとするは、物の哀れを知らぬ人なり。」(『紫文要領』73頁)

日野龍夫は、この主張を、「道徳上の善悪は文学の問題にはならないと主張して、文学的価値と道徳的価値の分離という、日本の文学論史上画期的な認識を切り拓いた」(日野「解説」523頁)と評価しています。それはそのとおりでしょう。

444. 『源氏物語』の解釈に儒教や仏教を持ち込むのは筋違いで、物語というものは「物のあわれ」という観点から解釈しなければ意味をなさない、という宣長の文学論上の主張はもっともです。これはとりあえず全面的に認めましょう。

445.   しかし、「物のあわれを知る」こと、感情移入を媒介にして対象を深く理解することは、物語の虚構世界においてだけではなく、私たちの現実世界でも生じていることでした。宣長は、決して、物語の鑑賞において「物のあわれを知る」ことを重視するのはよいが、現実の認識と行動において「物のあわれを知る」ことを重視するのはよくない、と言ってはいなかった。現実世界でも虚構世界でも、浪費とわかっていながら浪費を続けるよりも、浪費だなあと深く感じ入って倹約にはげむ方が、家計のためにはよいはずです。すると、残る問題は、「物のあわれを知る」ことの現実世界における意義ということになる。

446.  というのも、愛は文学のなかにだけでなく、現実世界のなかにあるものだからです。もともと私たちが、日本における愛の思想のあり方に関心をもったのも、「我が国には愛に高い価値を与える思想がない」(番外編2の8:282)という事実に気づいたからでした。宣長の「物のあわれを知る」ことの意義の強調は、現実世界において「愛に高い価値を与える思想」になったか、ならなかったか。そのあたりを次回以降に考えることにします。


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