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「似合わん客」



 ずいぶん前に、といって去年のことだけど、大学近くの喫茶店で友人とだらだら遊び、最後に晩飯でも食おうか、との運びと相成って、相成ったからには店を選んで中に入った。

 その飯屋というのが学生の頃によく部活の打ち上げかなんかで利用した、まぁ若者向けのアメリカンダイナーで、それが久しぶりだったもんで自分は「ひぃぇ懐かし」かなんか言って席に着いた。

 相変わらず姿かたち様々のネオンサインがぴかぴかしていて、壁に所せましと飾られたアンティークなブリキ看板にその人工光がいちいち反射し、店内はほとんど赤青紫に染め上げられていた。調節ミスを疑うほど大音量で流れる店内音楽は、学生の頃はたいして気にならなかったけど、今こうして浴びせられると喧しくて仕方ないなぁと思ってしまうのは残念ながら自分がちょっと年をとったからで、店がいくら変わらぬままでいても当時と同じにはなれないのだと、当たり前のことを実感した。

 とまれ私と友人はそれぞれ互いになんかプレート料理をやんちゃそうな店員に注文した。ビールも頼もうか迷ったけど、やめた。料理はわりとすぐにきた。

 良くいえば活気とカジュアルな雰囲気のあるダイナー。そうじゃない言いかたをすれば下品でたいへんな乱痴気ぶりのダイナー。いずれにせよ、大人数でがつがつ食べてぐびぐび飲んでゲハハハと咆哮しアギャンアギャンと奇声を発し便所でダヴォォェと嘔吐して記憶を喪失することを至極の喜びとする学生は多く、安い値段で食べ放題と飲み放題があって、かつ上述のような蛮行が許されるここは常に一定の需要がある。

 でもこの日はそういう集団はおらず、あまり入りの多くない店内を見渡して、一番人数が多かったのは奥の席に座る家族客だった。家族?珍しいな、とそのとき思った。というのは嘘で正直に言うと、そのテーブルを見て自分は「似合わん客やなぁ」と思った。

 実際、似合ってなかった。小さい子供とその母親らしき女性、それからその母親の母親らしき年配の女性。一番奥の席で、静かに食事している。もしかしたら結構賑やかにしていたのかもしれない。でも爆音BGMのせいで話し声は一切聞こえなかった。これはそう見えただけの偏見だけど、垢抜けて活発な感じの家族とかでなく、おとなしい風景が似合いそうな三人だったから、店の中でそこだけピントがずれて、なんだか自分の目の前にあるプレート料理を食べる手と口がちょっと不器用になった。


 おそらく何度もゲロまみれになったことのあるテーブル、倦怠な学生の巣窟。生活や愛情や清冽な若さなどではなくて、この空間に充満しているのはぼやけた色の、少しの痛々しさ。なにかの間違い。嘔吐と調節ミスのBGMと赤青紫の人工光。酒酒酒。


 なぜかその家族に対して、全く関係ないのによくわからない罪悪感をいだいて、しかし同時に普段の調子で飯を食べて「うまーい」など言っているいい加減な自分に内心ちょっと苦笑いしてしまった。





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