人生とは懺悔の繰り返し。以前誰かがそんな事を言っていたのをふと思い出した。神仏へ無頓着に祈る日本人なら、恥の繰り返しと言った方が腑ふに落ちるのかもしれない。ふと太宰治の顔が思い出されるが、確かに恥と言ってしまえば、彼もそれなりに恥をかいて生きてきた。

一昨日のことだ。彼はコロナ明けを祝おうと開かれた、勤める社内の宴の席で久々に羽目を外して酔いしれた。どの程度かも分からないし、覚えてもいないようだ。普段から気に入らない上司の頭を、そうとは気づかれないよう軽く撫でていたのかもしれない。記憶は定かでないが、部下の遠藤君が真剣な目で彼を止めていたことは何となく覚えているようだ。親切な遠藤君は帰りも彼の腕を捕まえてタクシーへと押し込み、自宅近くまで送り届けた。

久々に酔った彼はすっかり気分が良くなり、何だか無敵になったような気すらしていた。運転手の方に丁寧にお礼を言うと足取りも軽く家路についたが、なぜか視界が左右に揺れている。歩道の端には集積所のポリバケツがあったが、向こうからご挨拶に寄ってきたので思わず蹴ってしまった。その物音に反応して、ご近所の犬ワンコが吠える声が響いた。

その響きに、彼の心に眠る太古の記憶に火がついたようだ。広い道ではないが歩道の脇にはガードレールが張られてある。沸々と沸き起こる生への衝動、抑えきれない欲求が彼を支配していた。彼はその支柱の一つに飛び乗ると、月を見上げ、大きく息を吸った。

「あ、あおーーーーーーーん！！！」

喉を開放させ、漆黒の闇を切り裂かんとするかのような咆哮が辺りに響いた。街中の犬ワンコたちはその声に呼応するかのように、閑静な住宅街のあちこちで遠く吠えたのだった…

気づけば朝だった。少し頭痛がする。記憶は曖昧だが、何とか家までは辿りつけたようだ。家族はいつもよりやや冷た目だ。朝から娘の視線がいつにも増して刺さってくる。「昭和かよ」目は口よりもモノを言う、ようだ。
イスに腰かけ、コーヒーの香りに記憶が呼び起こされていく。脳内の景色を味わいつつ、彼は自分なりに家庭内での居場所を確保しようとしていたが、それはもう困難なことのように思われた。

いつもよりも15分ほど早い出勤だ。家族の冷たい視線に身も心も凍てついてしまった。朝方の日差しに温もりをもらい、彼には生きる勇気が徐々に湧き出てくるようだ…

道ばたの景色に、彼はふと立ち止まった。ここは何だっけ？何かあったような…思い出せない。

集積所の脇を抜け、彼は大通りへと進んだ。ガードレールには大きな段ボール紙が括り付けられていて、そこにはマジックで大きく赤字でこう書かれていた。

「ココで吠えないでください！！」

吠える？イヌに言ってる？朝から不思議な光景を見たものだ。でもその場所を通るたび、彼の胸は少しだけ痛むような気がした。

（イラスト　ふうちゃんさん）