ことばを大事に

日々のことばをもっと大切に使おう、大事にしようと思いついた。

私の妻は、メキシコ人。日本語とスペイン語、互いに、カタコトの言語で話し合うから、表現はどうしても乏しくなってしまう。時に大胆に、時に乱暴に、時に真っすぐに、突き刺さる。

母語のように、ふくらませて、オブラートに包んで、なんて表現はなかなかハードルが高い。冗談のセンスも、知性と育ちが問われる。

ことばは、もちろん大事。だけど、それに気持ちをプラスすることによってことばの持つニュアンスは変わってくる。とがった言葉だけど、優しさが含まれたことば。愛情いっぱいの言葉だけど、なんの気持ちも入ってなければ、薄っぺらく響く。

海外の友人たちには、日本語で日本人と話すことに少なからず抵抗を抱く人がいる。自分の日本語能力が高くないこともあるが、一般の日本人は、はっきりいって、日本語で海外の人たちと話すのがへたくそだ。からである。日本語は、じつに豊富なことばで成り立っている。だから、少し表現をかえるだけで、海外の人たちにも容易に理解してもらえるようになるのだ。いわゆる「やさしいにほんご」ってやつだ。

その点、JICAボランティア経験者の友人たちは、総じて、海外の友人たちにも「話しやすい、わかりやすい」と言われる。ことばの問題だけでなく、コミュニケーション全般の能力の問題でもあると思うのだが、彼らは、自然と海外の人たちと「やさしいにほんご」で会話することができるからだ。それは、かつて自分たちが派遣国でそうだったように、母語以外の言語を話す苦労を知っているからこそ、「寄り添って会話すること」ができるのだ。

妻とのことば、子どもとのことば、一人一人とのことばをもっと大事にしてみよう。きっと、ことばを大事にすることによって、表現も変わってくるだろうし、対応さえも変わってくるだろう。

そんなことを考えた小雪の午後。

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