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いただきます

こちらが給食費を支払っているのだから、園でも「いただきます」なんて子どもに言わせないで。

こんなことを言ってきた保護者がいると、保育園の方が言っていた。保育園だけでなく、小学校や中学校でもありそうな昨今である。


昨日は、先日のサツマイモに引き続き、サトイモの収穫。




自分で作物を植え、育て、収穫し、調理し、食するとわかるが、

少しでも大きく、美味しくなってほしいと願い、月日をかけ、育てられた作物や動物には、生産者の思いがたっくさん詰まっている。

それを消費者の私たちは、どれほど意識できているだろうか。

また人間は生まれながらに罪深い存在で、命ある生き物を食し、生きている。

「いただきます」は、命ある存在に感謝し、生産者に感謝し、流通・販売に関わった人たちに感謝し、調理してくれた方に感謝し、食べられることに感謝する、意味深い、素敵な言葉なのだ。


想いを伝えることは、難しい。想いを汲み取ることも難しい。

ダイレクトな関係でさえ、100%の思いを伝える、受け取ることは難しいのだから、中間に入る存在があれば、なおさら、それは薄れる可能性がある。だが同時に、数倍に膨れ上がることもあるだろう。

あの人の想いを託されたあいつが、その想いを背負って、俺に届けてくれる。

あの人が想いを込めて育てた野菜を、俺にうまいもん食わせてやろうと、試行錯誤して調理してくれる人がいる。

そんな想いの受け取り方ができれば、自然と腹の底から、いただきます!!が出てきそうだ。

素敵な想いのつなぎかたをしたいものだ。

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