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【ピリカ文庫】タツナミソウ 【ショートショート800字】

「いらっしゃい」

 洋子が店に入ると椅子に腰かけた店主が静かな低いトーンで迎えてくれた。

 わずか6畳ほどの店内には、透明のガラスケースが3つ置いてあるだけで、その中に色とりどりのマニュキュアの小瓶が並べられていた。

 先日、ふらり立ち寄ったカフェで手に取ったショップカード。少し厚めの名刺サイズの紙に活版印刷で「粋雨(すいう)」と書かれてあり、裏を見ると住所が載っているだけだった。何の店かも分らなかったけれど、そのことが余計に洋子の気を引いた。洋子は、そのカードに惹かれ導かれるように、その住所を訪ねてみたくなった。

 マニュキュアの小瓶の1つ1つに万年筆のようなインクで名前が書かれてあった。「桃」「藤」「梅」花や植物の名前が多いように思えたが、「瑪瑙」「茜」「紅」「雲母」など鉱物や色をさすようなものまで様々だった。グリーン系だと「鶯」「山葵」「オリーブ」「エメラルド」「モス」といった具合。

 洋子が店内を1周して一番気になったのが、ブルーともパープルにも見える小瓶だった。名前を見ると、“タツナミソウ”と書かれてあった。洋子が足を止めて、その小瓶に見入っていると「貴女それなのね」と店主が言った。それとはどういう意味だろう。洋子がそんな面持ちで店主の方に顔を向けると、店主がこう言った。「タツナミソウの花言葉は、“私の命を捧げます”だよ。貴女は今、ひょっとして、その覚悟を迷っているのではないかい?」

 洋子はタツナミソウが花だということ、そして、その花言葉の意味を頭の中で同時に知識として初めて取り入れた。花言葉の意味がジブンの中へ入って着た頃、気がついた時には洋子の頬に涙が伝っていた。涙を拭こうと、慌ててバッグからハンカチを探していると、店主が続けてこういった。「この小瓶を選ぶ時はよほどの時、貴女誰にも言えずに苦しかったね」

洋子がバッグに手を突っ込んだままハンカチを見つけられないでいると、店主が椅子から立ち上がって、そっとティッシュを差し出してくれた。


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