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日常と東京とPEDRO「生活と記憶」

ニ〇二一年二月十三日、日本武道館へ。

PEDRO「生活と記憶」

世が乱れてから止まっていた時間が、再度動き出すかのように、心臓の音とドラムの反響がぶつかる。普段は何重にも隠されている扉の奥にまで手を伸ばし、強く重たいノックが轟く。

イヤホンから流れて終わる、誰にも共有出来なかった音は、一席空いた隣の客と同じものを見て聴いて同じような違うようなノリ方をする。


武道館の最上段最後列の席だった。
どうしようもない日常であれば、顔色ひとつ変えずにボタンひとつで音楽を流して、リズムにも乗らずに微動だにしないのに、ライブとなれば話は変わる。
凝り固まった首のネジを外し、足と手と首でリズムを取ってその場で舞う。演奏と歌に耳を奪われる。その場に立ち上がり、全身で音に狂わせてもらう。


ベース/ボーカルのアユニ・Dの歌唱と、ギターの田渕ひさ子の歴史的遺産とも言えるギタープレイング、そしてドラムの毛利匠太が全てを支え、ノリを最大限に拡張して盛り上げる。この掛け合いを見たいがために、人は数ヶ月前から指定された集合場所と時間に向けて、万全の準備を重ねて胸を躍らせるのだ。


ライブを筆頭にエンターテイメント業界が危機に瀕した昨年、必要と急用のみを突き詰めてしまって、つまらない世界が出来上がりを目前にしていた。閉鎖的で排他的。離れた距離は現実の2mやそこらの話ではなかった。寂しさの代わりのものは見つけられなかった。それが不器用であり、変化に抗う本能というものだ。


今できる限りでの最大パフォーマンス、感無量であり、昂った。
ピンチなときこそ、本当に必要なものはライブだったのだろう。中止にならずに無事に開催できたことがなによりも良かった。


思うように生活できなかった日々を想起しながら、ライブという場を借りて生活を拡げる。忘れて無くなっていた記憶は甦ると同時に、さらに更新されていく。

日替わりのカレンダーをすっかり忘れていた数日間を一気に変化させるように、障壁を一思いに破った。
日常が周回遅れながらに戻ってきて、第一線にまでやってきた。


演出による眩しすぎる電光と全方位から囲まれた舞台は、東京が用意した御褒美であり、夢物語のひとかけらなのだ。

この瞬間に立ち会えたことを幸運に思いながら、記憶の中に仕舞い込んで、生活を少しずつ変えて生きていく。

悲しいも嬉しいも 全て愛していくから
この惑星で生活を続けんだ
簡単にできることなんて一つもないのさ
難しいこと繰り返し それでも
生き抜いてこう そっと
東京/PEDRO

自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。