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生まれてノンフィクション

文字を打ち込む日々に、文字を書き込む隙は生み出しづらくもある。動作自体が違っていても、頭の中の処理はほぼ同じで、文字を羅列するスピードとミスする可能性に個性が出てくるぐらいの差でしかなかった。

手にペンを携えて、最初からそのつもりで書きたいままに何かを書くのは、実に2週間ぶりだった。手書きメモを残す必要があった一昨日のことを思い返すぐらいなら、もう少し丁寧に書いておけば良かった。

手で文字を書くのに、家のテーブルでは味気なさとこれじゃない感がある。気分が晴れているうちに近くのカフェに移動する。春の陽気が染み渡ってきた。アウターを持っていくのは辞めて、長袖シャツをハンガーから外した。

晴れの日を当たり前のように思えるのは、わざわざ外出する日が晴れであるからだと思った。雨が降っている日を狙って出かけるのは考えにくいし、どうしてもマイナスの要因で誰もが揺るぎない結論だとして扱っている。当たり前のように見過ごしていたが、それだけじゃ面白くないから覆してみたくもなった。

平たく見えるデジタルの文字だと、似た文言を使っていると気になるし、毎日が文字にされていると思うとゾッとする。日々ニューワードを取り入れておかないと中身がすり減らされてそのうち0になりそうだ。HPは回復役がいないと減る一方で、難易度がグッと上がってしまう。難しいゲームに燃え上がれるほどの腕前も自信も実力もない。その辺にいる村のモブ戦士を主人公に据えたゲームはストーリーに面白みがないだろう。そんな変わり種のゲームは競技人口が見込めなくて企画段階で崩れ落ちる。戦うべき相手はいつもゲームの世界よりも遠くにいる。

多くは望まずアイスコーヒーを注文する。ノートとペンを取り出し、一息ついてから手が動き出す。手が左右上下にプロットしていくだけで読むことが可能になる、そんな事実も当たり前すぎて素通りしていたものだった。字の癖も書き心地もデジタルとは大きく違いがある。ようやく自分の字が嫌いじゃなくなっているから、書くこと自体が苦になることはなくて、筆圧に力以上に感情を上乗せして跡を残していく。
文字を思い浮かべて並べる。同じようで全く違う動作に滞って喉元に閊えていた何かが静かになくなっていく。

音楽を選ぶのも楽しくなり、ついつい数曲ごとにスマホ画面に触れてしまう。
プレイリスト化してしまうと、指定した範囲から広がらないのがどうしても引っかかる。あの手この手でお気に入りの曲と初めて触れる曲を行き来する。歪みもシティーポップの前では無力になり解れていく。

流行りへのアンテナもそこそこに、アイデンティティになりつつあるオルタナティブを深掘りしてリピート再生する。緩急の合わせ技に肩から踊り出したくなるのを堪え、文字にリズム感が反映される。

ふと一年間を振り返り 楽しいことは何もなかったわけではないと思い始めたら感慨深くなって来たんだ。

昨日や明日では残せそうにない言葉が出てきた。その事実が刻まれただけでも、此処にいて良いと認めてあげられる。

相変わらず不透明で雲行きが怪しく、見通しが立たない世界が停止線でお利口に止まっている。
すぐに闇雲に粗雑な挙動になりがちなんだから、暗くなる前に足元を照らしてその場だけは守ってあげたい。

見失いがちな立ち位置を常住坐臥見えるように保てば、陰鬱な心持ちになる総時間は相対的に減ってくれるはず。

やる気と創作意欲と生きるモチベーションが0になる瞬間を生まない。

細分化して小さい段差にまで区分けするのはまた今度にするとして、一年間のドキュメンタリーはこのスローガンで生きてみることにする。


清らかさが広がり、再び一息つけた。
背筋を伸ばしてカフェを出た。当然辺りは真っ暗になっていたが、暗さに寄り付くことはなかった。寄り付く必要もなくなっているのだ。

たった一人と向き合う時間を済ませたと思えば、あっという間に日付変更の時刻が目前だった。

一人の時間ほど、向き合うのに根気が必要で過ぎるのが遅いものはないのかもしれない。
そんなことを思ったのも束の間、違う日がやってきた。

同時にドキュメンタリーの第一幕はそそくさと終わり、第二幕が始まる。緞帳が上がって舞台に押し出される。

不完全な生き様を晒すだけ、難しくない分面白さもない。

何があれば引きのある物語になるのかをブレインストーミングで暴きにいく。
気分屋の一年を捉えようとするまでの、作戦会議を始めるとしよう。

明くる日、違うカフェの席を占拠した。

自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。