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ホテリエからSaaS事業開発へのキャリアチェンジ

こんにちは。
CHILLNNカスタマーサクセスの鈴木です!

今回の記事では、ファーストキャリアでホテリエという職業を選んだ私が、いかにして現在の宿泊特化型SaaSのカスタマーサクセスになったのかというお話をさせていただきます!

以下のような方にとって、少しでも参考になるような内容となっていましたら幸いです…!

◎現在「ホテリエ」として務めており、出来れば続けたいけれど、ライフステージの変化などでこのままやっていけるか不安
◎現場以外の角度から、宿泊業界に何らかのインパクトを与えたい
◎将来的に自分で宿を運営したい


⓪宿泊業界を志した経緯

僕は当時、大学4年生時から個人事業主として、就活支援や資産運用のサポートをする団体で活動をしていました。
(オブラート取ります。いわゆる「ネットワーカー」でした💪)
その仕事を続ける中で、前々から予兆はあったのですが、祖母が営んでいた民宿が正式に廃業するというニュースが新卒1年目の春に舞い込んできます。
そのニュースが僕の「仕事」に関しての考え方を改めるキッカケとなり、ある原体験を思い出していました。

話は祖母の民宿を手伝っていた幼少期に遡ります。

まず、僕は東京都に位置する「神津島」という離島で育ちました。
父方も母方もその祖父母も神津島で育ったという、ハリーポッターでいうところの純血です。
父も祖父も金目鯛漁師なので、いわゆる島っぽい生活を送ってたかというと、そうでもなかったです。実は19人乗りの小型飛行機で東京の調布まで40分で行けてしまうため、割と東京へは四半期に一回は行ってました。
なかなかキツめの方言もありますが全く使わなかったし、磯遊びや素潜りよりかはサッカーとゲームと漫画が好きでした。

地元です

母方の祖母が僕が生まれるずっと前から民宿を運営しており、幼少期に観光シーズンど真ん中の夏休みは、従兄弟と住み込みで日給¥500でお手伝いをしていました。
上は7つ上、下は5つ下の総勢7名の従兄弟が同じ島にいたので、大家族で民宿を運営するみたいなドラマにありそうな幼少期でした。
僕の主な担当業務は配膳と近くの商店への買い出しという名のパシリ(おばさんのビールとか)でしたが…笑

従兄弟たちと女将であるばあちゃんとでお客様をもてなし、時には一緒に花火やゲームをしたりと刺激的な毎日を過ごしていました。
毎日毎日同じ場所にいてやっている仕事は変わらないのに、ここに来るお客様にとってはこの場所は非日常で、十人十色で満足そうに帰っていく姿をお見送りする瞬間が大好きでした。
僕にとっての何でもないただの日常が他の人にとって、時には涙を流すほど感動するような時間になることを民宿と祖母に教えてもらいました。

これが僕が宿泊業界に興味を持った原体験です。

そんな美しい思い出が僕にとって大きかったので、祖母の民宿の廃業のニュースが耳に入った時、単純になくなってほしくないという強烈な思いに駆られたのを覚えています。
当時「自分が引き継いで復活させるんだ。」そんな思いでGoogleの検索窓に『おばあちゃん 旅館 廃業』と検索しました。
L&G(現:水星)代表龍崎のセブンルールの番組がヒットしました。
すぐに月額900円を支払い、FODプレミアムに加入したのを覚えています。

これが今の会社と出会ったきっかけです。
「龍崎さんのもとで学ばせてください」とメールを飛ばしました。

当時、翔子さんに送ったメール

①ホテリエ時代に得たもの


そんな経緯で、僕は晴れて住み込みインターンとして、ホテリエになりました。
行ったこともない北海道、住み込みで働く」
刺激的な決断だったなと当時の自分を褒めてあげたいと思います。

ホテリエ時代

学生時代、渋谷のかなり忙しい居酒屋のホールアルバイトや外資系のホテルで配膳アルバイトの経験があったので、ある程度の業務はできるだろうと勝手に思っていました。
しかし、実際に住み込みで働くとなると、非にならないくらいの緊張感と仕事量が待っていました。

・朝食配膳
・チェックアウト業務
・温泉清掃
・客室清掃
・チェックイン業務
・夕食配膳
・BAR営業
・宿直業務
・温泉街のおっちゃん達との飲み会

当時の仕事一覧

ホテルは他のサービス業に比べ、お客様と共にしてる時間が段違いに長い上、ワクワクするような非日常感を齎せながら「住」の安心感を感じていただく必要がある難しさがありました。
当時、「サービス」と「おもてなし」の違いやインバウンド対応のための英語の勉強で本当に多忙な日々を過ごしていました。幸いにも、ネイティブのスタッフがいたので毎晩レッスンをつけてもらっていましたね。
大変さと同時に、ゲストの唯一無二の旅の一部になれる喜びを、身に沁みて感じていた日々でもありました。
幼少期の頃と同様に、チェックアウト後フロントから荷物を運び、車で出掛けるゲストをお見送りする瞬間が大好きでした。
素敵な人ばかりで、今でも全て鮮明に覚えていますし、僕の大切にしている想い出達です。

いつもここでチェックアウトの時に記念写真を撮るのが日課でした📷

その後、社員へ昇格し、インターン教育や部門責任者も担うようになり、一部レベニューマネジメントにも触れるようになりました。
そこでやり甲斐とは別に、自分で宿をやるということがどれだけ茨の道なのかを実感しました。
ホテルは装置産業であり労働集約型産業であるため、「稼ぐ」という意味合いからは遠い場所にあることを認識しました。
さらに一社員として、売上貢献や事業成長という部分での箱を育てるという点において、非力さと難しさを痛感しました。

自分の中で段々と宿を持つということへの解像度が上がっていった大切な時間だったと思っています。

思い出を少々。。。

②ホテリエ以外の道を意識したきっかけ


北海道のホテルは冬場は休業をし、次の春の開業まで関西の別店舗へと、一時的に異動をするという形を取っていました。

当時、大阪のHOTEL SHE, OSAKAへ一時配属となりました。

春の開業までに大阪で働いていたところ、観光業界にとっては未曾有の危機となったCOVID-19により、全国の店舗が全て休館に追い込まれるという非常事態となっていました。
この危機を見兼ねて、会社は「未来に泊まれる宿泊券」という前払いECプラットホームをローンチをするということで現在の予約システムと同時に走り出していました。

当時、僕が寝泊まりしていたHOTEL SHE, OSAKAのロビーで永田さん(現:CHILLNN CEO兼CTO)が昼夜問わず開発をしているのを横目にみながら「エンジニアってすげーなー」とコンビニへ出掛けていました。
ホテルが休業中であったため、有志でリリース初期のセールスの手伝いを募集していたので、手を挙げたのがCHILLNNとの出会いです。
困っているお宿様を日々Twitterで見ていたので、少しでも力になれればという想いと、色々な宿の人とは話せるという興味関心で手を挙げました。
ホテルの一室で、リリース間もないプロダクトをひたすら営業するという動きを1ヶ月ほど行っていくうちに、宿の規模や運営スタイル、スタッフの数によって、僕が見ていたホテル業という仕事は一部に過ぎなかったと知るキッカケになりました。

少しウィルスの蔓延が落ち着いた頃に、当初の予定から2ヶ月遅れで、HOTEL KUMOIの春の開業が実現されました。

北海道へ戻ってからも、CHILLNNで出会った事業者さまと打ち合わせをしていました。
自身もオペレーション業務を回しながら、全く別の運営スタイルのお宿のオーナーとお話をすることは当時の僕にとっては本当に有意義な時間だったのを覚えています。

しかし、日々のオペレーションをこなす中で、宿泊業界における広い課題を解決しようとしているCHILLNNとゲストにそこにしかない非日常を提供するHOTEL KUMOIを、プロダクトとして比較している自分がいました。
当時、COVID-19の影響でお客様が少なかったのもあり、冬に感じた自分の非力さや影響力のインパクトの小ささに劣等感を抱いていました。
これはどっちが良いとか悪いとかの話ではなく、当時の僕は単純にCHILLNNというプロダクトに惹かれていました。

「祖母の宿を無くしたくない」から「どうせやるなら地域に大きなインパクトを残せる宿をやりたい」という想いへ変わっていきました。
僕は地元が好きなので、地元にいる家族や友達、今まで出会ってきた人たち、親父やじいちゃんが守ってきた漁師文化に影響を与えられるような宿を持ちたいという風にCHILLNNとの出会いを通して、自分の中の大義が変化しました。

そして、大好きなホテルに別れを告げ、CHILLNNへの異動を決心しました。

層雲峡温泉「HOTEL KUMOI」
翔子さんとフロントに立った貴重な一枚

③SaaS事業開発という未知への挑戦


京都へと住まいを移し、CHILLNNでの業務がスタートしました。
大きくは2つ、環境に馴染むまでに時間がかかったことがあります。

1つ目は使用する言語が違いすぎたこと。
IT領域のため、僕が見てきた現場とは全く別の言語が飛び交います。
それに加え、社内でも有名なのですが、CHILLNN代表の永田は様々な横文字の専門用語で会話を行い、スピーディーにコミュニケーションを完結させる性質を持っています。(笑)
例えば、こんな感じ。
「このバーティカルSaaSはARRがXX億までグロースさせたい」
「PMF達成まではアジャイル的な開発体制を敷く」
いつしか日常的に使用する言語となりましたが、当時は永田さんが発した言語をメモって検索する、SaaSの知見を深めるために本屋に行くといった生活をして、食らいついていたと思います。

2つ目は事業部間の連携や経営層に近い位置で物事を考えるということ。
水星は少し特殊でホテル運営以外にもプロデュース事業部やアカデミー事業部、そしてCHILLNNとtoBという切り口で様々な事業部が同じオフィスの中で働いています。
そのため、案件によっては共通で物事を進めることも多々ありました。
それぞれの事業部が何を提供しているのかをしっかり知ること、更に経営的な目線で利益が最大化される方法を模索すること、ここの感覚に馴染むことに最初は時間がかかりました。
しかし、慣れると可能性しかありません。
様々な角度で宿泊事業者に対して大きな課題解決をチームで行えることは最大の強みであると今でも感じています。

水星/CHILLNNチーム 集合写真

紆余曲折ありましたが、現在CHILLNNに来て、2年半が経過しました。
この2年半、多くの業態の宿の運営をクライアントから学び、プロダクトを成長させるため、色んなトライ&エラーを繰り返してきました。
そんな今でも「自分の宿を持ちたい」という想いは変わっていません。
まだ道半ばですが、HOTEL KUMOIとCHILLNNで得た経験を全て詰め込み、八方良しの素敵な宿を持つことを自分の働く意義として、掲げております。

この2年半で得た学びや身につけたものに関しては、また別の機会でまとめられたらと思っております。

長くなりましたが、僕がホテリエからSaaS事業開発へとキャリアチェンジを行った経緯について、ご紹介させていただきました。
備忘録的かつ自己紹介的に記事を書きましたが、誰かにとって何か有益なものとなっておりましたら、幸いでございます。

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