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グッとくる文章と、携帯泡ハンドソープの、意外な共通点。

先週末、スーパーの日用品コーナーで、すごいものを見つけました。

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「あったー!これこれ」
手に取ったのは、携帯用の泡ハンドソープです。

私は一瞬「なんで私の欲しいものがわかったの!?」と思いました。
「言ったことなかったのに。すごい!」まるで彼氏からのサプライズプレゼントを喜ぶ女子のように(笑)

私は息子たちと公園に行くとき、洗面台にある大きな置き型の泡ハンドソープをビニール袋に入れ、ぼんとリュックに詰めこんで出かけていました。
公園には石けんがないし、あったとしても固形のもの。泡タイプのほうが、2歳と4歳の子には、すぐに洗えて便利です。

きっと昨今なにかと手を洗う人が増え、携帯用のアルコールジェルだけでなく、携帯用の泡ハンドソープまで需要が増えてきたことが、すぐに想像できます。

でも私、今まで誰にも「置き型の泡ハンドソープ、持っていくの重いんだよね〜」とか、「リュックの中でかさばるから大変!」なんて口に出したことなかったんです。というか、その不便さに自分で気づいていませんでした

だからこの「携帯型ハンドソープ」っていうありそうでなかったアイデアに、驚きを隠せなかったんですよね。
この商品がスーパーに並んでいることは、「日常のささいな不便に気づき、言語化した人がいること」を意味すると思いました。

サプライズプレゼントが「私の欲しいものに気づいてくれてありがとう」なら、この携帯ハンドソープは「私の不便に気づいてくれてありがとう」でした。私はすぐにその商品をレジに持っていきました。


この感動って、心が動くエッセイや、コピーも近いと思いました。

思わず心にグッとくるエッセイ。見た次の瞬間にはなんらかのアクションを取りたくなるようなコピー。どちらも共通で、「ふだん多くの人が思っていたけど、言葉にならなかった感情や事実を言語化にしたもの」が多い気がします。

私がこれに改めて気づいたのは、小野美由紀さんの文章にある、この一説を読んだからなんです。

「優れたエッセイというのは、だいたい、読み手の中からまだ言語化されていない疑問とか、感情とか、意見のようなもやもやしたものを引きずり出して来るものだ。そうでなければ読者にとって読む意味がない」

誰かが自分の気持ちを言語化してくれると「私の気持ちを言葉にしてくれて、形にしてくれて、ありがとう」という気持ちがこみあげます。

今までもやもやと漠然としていた得体の知れない感情が、言語化されることで、はっきりと形を帯びたものとしてわかるようになります。

自分の気持ちが何なのか、理解できるだけでもスッキリするし。解決策が浮かんでくることもあるでしょう。

「置き型ハンドソープって持ち運びづらいよね」という不便を言語化した人がいたからこそ、「じゃあ携帯用をつくってみよう」というアイデアが生まれたのと、同じだと思うのです。


「誰かの心に響く文章を書きたいなぁ」
私はいつも思っているのですが、これを書いてあらためて、日々の自分の小さな感情を見過ごさないようにしたいと思いました。

毎日noteに書いていると、いやでも自分の中で起こった感情を言語化することになります。すると書いてみてはじめてわかる自分の感情があるんですよね。

「あのとき、そう思ってんだ?」まるで自分とお喋りしながら書いている感覚。昨日書いたフルーツサンドの記事は、まさにそうでした。こんな文章に仕上がるなんて、書く前の私は、想像してませんでした。

もし言語化したい人がいるとするならば、自分の気持ちをたくさん書いてみることは、やっぱりおすすめの方法だと言えます。書くことで、自分の中でのささいな変化にも気がつきやすくなります。


こうして毎朝noteを書いて、できたてほやほやのものを読んでいただけるのは、すごく嬉しいです!
今日も読んでくれた方に、感謝の気持ちをこめて。
楽しい1日になりますように。

小森谷 友美
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