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映画『朝が来る』


「朝が来る」を観てきた。
原作未読。
この映画が気になった理由は、私の職業に起因している。
私は産婦人科病棟に勤務する助産師だ。
最近、妊娠中から特別養子縁組に出すことを決めていた妊婦さんがいた。
もちろん事情は映画とは違うけれど。
無事に分娩を終え、養親さんのもとへ引き取られて行った。

どこの産科もそうだと思うけれど、若年、生活保護、社会的ハイリスクがとめどなく分娩に来る。(助産施設でなければ生活保護受給者は来ませんが)
思うことは一つ。
生まれてくる子がちゃんと大人になれますように。
ちゃんと愛を受けられますように。
必要な教育を受けられますように。
映画の中で養親さんのご家族が言っていたように、血筋なんて関係無く、まず、生まれてきた命がその人生をきちんと全うできることのほうが何よりも重要だと思っている。

だからこそ、望まない妊娠による人工妊娠中絶も里親制度も特別養子縁組も、子供の為になるのならば、というのが私の気持ち。
もちろん中絶は、そうなる前の避妊をしてほしいけど。
産んだ後に虐待をしてしまうくらいだったら中絶して欲しかったし、それが間に合わなかったのであれば他人に託すという選択をして欲しかったと、その手のニュースを見るたびに思う。

そしてもう一つ想うのは、産んだ女性たちのこと。
若年妊婦であれば、妊婦の母親の無関心はとても目につく。気になる。
親が生理周期を把握していれば中絶可能な週数で気付けたんじゃないのか?
ナプキンのゴミが最近無いなって気付けたんじゃないのか?
若年妊婦の親が生活保護受給者であることも多く、貧困という問題も避けては通れない。
お金が無くて育てられない、という人もいる。
若年妊婦はその年齢が若ければ若いほど、相手とは別れてしまうことが多い。
実家で家族のサポートを受けながら育てる選択をする。
ある若年妊婦の母親は無職の生活保護受給者であったが、娘の分娩時に病院に連れて行かれない、と計画分娩を希望した。
諸事情で退院が数日伸びたが、退院が決まったことを電話で告げ、明日迎えに来るように伝えても、週末まで居させてもらえないかと平気で言う。
ある若年妊婦は切迫早産で入院していた。
その間、母親が面会に来ることはほとんど無く、友人だけが来ていた。
若年妊婦の多くは、そんな家族関係での被害者なのでは無いか?とさえ思う。
親との関係がうまくいってなくて、家に自分の居場所が無くて、誰かにすがりたくて、甘えさせて欲しくて、男性との繋がりを強く求めてしまう人もいるんじゃないのか。
その顛末が妊娠だとしたら、それは妊婦の自己責任では済まされないよな、と思う。

ひかりの妊娠がわかって、産婦人科で母親が
「子どもが子どもを産んでどうするんですか。」と泣き崩れ、取り乱す場面。
医師が言う。「だから我々大人が話を聞いてあげなくちゃ。」
母親にその医師の言葉は届かなかったけれど、わたしの耳からは離れない。

わたしは映画を観ながら、色々な立場から自分を振り返っていた。
そういう人たちに直接関わる助産師として。
娘を持つ母親として。
息子を持つ母親として。
妊娠、出産を経験した者として。

娘は15歳。中学3年。ひかりと同い年。
娘が妊娠したらやっぱりショックだと思う。
取り乱すかな。
娘の前では冷静を保つかな。
なんでこんなことに、と怒りを覚えてしまうかもしれない。
相手に対しても怒りを覚えると思う。
ひかりの母親のような態度になってしまう可能性はとても大きいと感じる。
それでも助産師としてのわたしは「気づいてやれなかったこと」を酷く後悔するんだと思う。
忙しくしていた自分、かまってあげられてなかった自分を責めると思う。
望んだ妊娠はとても嬉しいものだけど、そうでない場合はとても怖く不安で、この先どうなってしまうだろうと思うだろうから。

周囲に知られない方がこの先の人生が生きやすくなるんじゃないかと思う母親の気持ちもよくわかる。
でも、家族から離れて専用の施設で妊娠期間を過ごさせ、分娩の時にも母親が居ないという状況は、親としての責任の放棄ではないのかと、悲しくなった。
ひかりはまだ育てられるべき子どもなのに。
見捨てられた、見放されたと、ひかりは思っただろうな。
寂しかったろうな。
分娩て、大人が体験したって不安なのに。
もちろん親と絶縁状態だったり、金銭的に困難な人が、きちんと妊婦健診が受けられるような環境で生活ができることは、とても良いことだとも思う。

息子は17歳。高校2年。
誰かを妊娠させてしまう可能性はゼロではない。
もしそうなったら?
相手の女性に申し訳ないことをしたと酷く後悔するだろうけど、卒業をちゃんとさせたいし、仕事を見つけて自立して生きていけるようにしてあげたいとも思うだろう。
映画の中で、彼はちゃんと高校生になっていた。
別れを選択した時は苦しんだけれど、苦しみをちゃんと抱えて生きていってくれるのかな…。
息子には常日頃から「コンドームだけは絶対に着けるように」と言い続けています。

映画を通して、ひかりの救いはどこにあるんだろう、と考えていた。
妊娠も出産も、親からは無かったことにされて、きっと産んだ後も母親から労いの言葉ひとつかけてはもらえなかっただろうと思う。
どこにも居場所が無くて、唯一の拠り所だった施設も無くなってしまって、住み込みのバイトをするしか無くて。
産んだ子に会えたけど、それでも彼女の人生は続いていく。
家族から見放された人生を続けていく。
種だけまいた彼はちゃんと高校生になって普通の人生を歩いているのに。

お産の記憶は残る。絶対に忘れられない。
ひかりにとっては、我が子に逢えた喜びの記憶よりも、苦しみと寂しさの記憶として残り続けるのではないか。何故ひかりだけがその苦しみと寂しさを背負わなければいけないんだろうか。

助産師のわたしには何ができるんだろう。


ひかり役の蒔田彩珠さん、素晴らしかったです。