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作話の根と幹と枝葉と花実と

小説家であり、スタジオぬえを主催している脚本家であり、漫画原作も手掛ける高千穂遙先生が、小説などの文章表現と映像表現の違いについて、X(旧Twitter)にポストされていました。

小説家は、すべての事象、世界を文章だけで表現する能力を培ってきています。映像作家にはそれらを映像と音だけで表現する能力が必要です。言葉だけで構築された最高の作品を、絵と音だけで最高の作品にすることなんて、ほとんどの小説家にはできません。前に書いた河森正治監督のエピソードを→

https://x.com/takachihoharuka/status/1752467497616601550?s=20

言葉で最高の世界を構築できる者には、映像と音で最高の世界を構築することはできないということです。また、言葉で完成している作品を、そのまま映像と音で最高の作品へと移し替えることは困難だということも。わたしはこれを本に書こうと思ったのですが。黒澤監督の本を読んで断念しました。→

映画は脚本がすべて、とはよく言われますが。個人的に思った雑感を。



①地の文が苦手な人

小説・脚本・漫画・アニメ・テレビドラマ・映画・舞台演劇・人形劇・ラジオドラマ・落語・漫才……それぞれに独自の表現があり、適性というか得手不得手がありますね。

個人的には、作話の本質的な土台があり、その上でそれぞれの表現に共通した部分と特化した部分が、あるイメージでしょうか。講師陣とも、よく話題になります。こちらの小林靖子先生の言葉、興味深いです。

アニメ・特撮作品で人気の小林靖子氏「自分らしさは必要ない」 ドラマ『岸辺露伴は動かない』脚本

 俳優の高橋一生が主演するNHK総合/BS4Kのドラマ『岸辺露伴は動かない』(28日から3夜連続 後10:00)。荒木飛呂彦氏の大ヒット漫画『ジョジョの奇妙な冒険』からスピンオフした傑作漫画を初めて映像化する。脚本は、原作の“完全再現”で熱烈なファンからも高評価を得ているアニメ版のシリーズ構成を手掛けた、小林靖子氏が担当。実写版《岸辺露伴》はどのように生まれたのか。執筆秘話を明かした。

https://www.oricon.co.jp/news/2180467/full/

特に重要な部分が、「文章というか、小説の地の文が苦手。せりふを考えるのは好きなんです。だからシナリオは書ける。ト書きには美しい文章や独特な表現はいりませんからね。」ここですね。

 「文章というか、小説の地の文が苦手。せりふを考えるのは好きなんです。だからシナリオは書ける。ト書きには美しい文章や独特な表現はいりませんからね。小学生の頃からノートにせりふのやり取りだけを書いて、脳内で映像化して楽しんでいました。作家や脚本家は自分の表現したいことや自分にしか書けないものを持っているイメージがあるのですが、私はそういうタイプではないんですね。だから自分のことを作家とも脚本家とも思っていないんです。強いて言えば“脚本士”。作品やキャラクターの魅力を映像的にどう伝えるべきかを考えて、これまで培ってきたシナリオライティングの技術を駆使してそれを実現する。そこに自分らしさは必要ないというか、全く意識していないですね」

漫画原作者には、梶原一騎先生や小池一夫先生のように、小説家家から転向した方もいます。七月鏡一先生も元々、高校の頃は小説の賞に入賞されており。また、辻真先先生のように脚本家から小説も書くようになったタイプと、池田悦子先生や久保田千太郎先生のように、アニメの脚本家から、漫画原作を書くようになった方も。

地の文が苦手だという漫画原作者は、一定数います。

また小説家でも、会話を先に全部書くという人もいますし、これは漫画家にも意外に多いです。

②セリフだけも成立

つまり、「セリフが先に思い浮かぶ」というタイプの人間が、作話予備軍の裾野の、一番広いところに存在している可能性があります。セリフだけで成立する作話として、以下の表現などがあるでしょう。

・ラジオドラマ(オーディオドラマ)の脚本
・しゃべくり漫才の台本
・新作落語の台本

落語は仕草(仕方)も重要な要素ですが、音だけ聞いても楽しめる表現ですので、暫定的に入れました。これは、漫才もそうですが。

そのセリフに見合った情景や内心を地の文で表現できれば、小説家に。
絵で表現できれば、漫画家に向いていることになりそうですが、断言はせず一旦保留を。
では脚本家は、そういう地の文を書く能力や視覚化する能力で、小説家や漫画家に劣る存在かといえば、そうではないと、筆者は考えます。

③得手不得手を知る

例えば会話文なら思いつくタイプでも、漫画や映像に起こす段階になると、以下の2つに分かれる可能性がありますね。

・棒立ちで延々と会話してる感じのセリフを紡ぐタイプ
・場面が思い浮かぶ・動きが想像できるセリフを紡ぐタイプ

前者のタイプは、漫才の台本やオーディオドラマに、適性があるように思います。後者のタイプが、漫画や映像にしやすいのは、当然として。サイレント漫画のような、セリフ無しで視覚的に表現する才能と、また違うので、注意が必要でしょう。

逆に言えば、棒立ちセリフ型の会話を書くアマチュアは、パントマイムによる身体表現とか学ぶと、得るものがあるでしょう。でもそれは、才能に恵まれない部分を補うためであって、最初から視覚的なものが浮かぶ人とは、半質的に違うと思いますが。

④視覚化への5分類

視覚的な文章表現に関しては、推理小説の始祖エドガー・アラン・ポーが既に言及しており、彼の詩も小説も、非常に視覚的ですね。『アッシャー家の崩壊』とか、実に視覚的です。ポーの作劇論・詩論は、ボドレールにも影響を与え、これがランボーに影響を与え、ローリング・ストーンズなど現代のロックの歌詞にも影響を与えています。

それを文章で表現できるのか、イメージはあるが言葉よりも俳優の演技やアニメの演出で表現するのが得意というあたりで、小説家と映像作家の、分岐点があるのかもです。思うに、セリフが浮かぶ作家予備軍を細かく分けると、以下の五種類に分類できるようです。

①完全セリフ型の小説家
②視覚イメージが浮かぶ小説家
③シーンが浮かぶ絵本画家
④動きの流れ(始点→中間点→終点)が浮かぶ漫画家
⑤二次元の動きがイメージできるアニメーター
⑥三次元の動きがイメージできる映像作家

自分の適性を見抜くことが、大事な部分はありますね。もちろん、適性なんか最初からわからないので、試行錯誤の中で見つけるのが大事でしょうね。自分の好きなことに才能があることは少ないですが、才能があることを好きになるのは、比較的簡単です。

⑤まとめてみますと

整理してみましょう。セリフだけが思う浮かぶタイプの、創作者予備軍に、どのような

①:セリフだけが思う浮かぶタイプ
 →ラジオドラマ(オーディオドラマ)の脚本
 →しゃべくり漫才の台本
 →新作落語の台本

②A:文字で情景や心情を描写できるタイプ
 →小説家

②B:絵で情景や心情を描写できるタイプ
 →絵本作家・漫画家

②C:ト書きでの場面指定はできるタイプ
 →脚本家・漫画原作者

その点で、漫画は小説寄りの表現だと思います。
なので、漫画の絵画表現を脚本のト書きに落とし込んだり、小説の地の文に応用する方法を、その練習方法を確立できれば、作話の土台からそえぞれの適性にあった方向に、進路を選べるような。
そんなことを、ずっと考えています。

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