似合ってない。っていう顔

ちょっと悲しい気持ちになったので、吐き出すためにも書きます。
多分、これはただの僻みなんだろうけど。
なぜか、その時いつも以上に心がキュウキュウしたので、別に大人な振りして辛抱しなくてもいいじゃんと思いたい。

昨日の夜、夫と居酒屋で軽く飲んだ。まだ物足りない感じがしたので、2人でぶらぶら歩いていたら、雰囲気の良い古着屋さんを見つけた。
店の前の500円セールのかご、そこにミドル丈の黒いコートがあった。
メンズかなと思ったが、夫には小さすぎて着られない。着てみたらと言われ、袖が合皮のダメージ加工?のコート、、ハード過ぎじゃない?と思いつつ羽織ってみたら、意外にいい感じ。ちょっと肩が余ってるけど、500円ならありだなと思った。(買ってもらえた、ラッキー)

家に帰って、さっそく着てみる。写真を撮ってもらって上機嫌な私。そこにお義母さんが帰ってきた。「お帰り~」と夫。
前にも書いたのだが、夫の母は本当に美人なのだ。時代が違っていれば、女優やモデルでデビューしていたかもしれない。今は40代なりの美しさを放っている。
私がコートを着ているのを見て、表情で分かる。イマイチだなと思っていること。「本当にこれ欲しかったの?」と言われ、「いやぁ、まぁ。」と答えるしかない。(本当は結構気に入っていた)そして、恒例の「お母さんも着てみたら?」の声。夫は私に服をプレゼントすると、母にも試したがる。というか、母へのプレゼントも、私にも着せたがる。「着けてみなよ!」その言葉がどれだけ危険な言葉なのか、彼は知らない。

彼女は黒いコートを見事に着こなした。「まるで、コムデギャルソンみたいだね。」確かに、明らかに背丈にフィットしている。そして、紺のロングワンピースが、わざわざ合わせたように似合っていた。
その瞬間、買ったばかりのコートは私のものではなくなる。正確に言うと、私のものだと思えなくなっている。私が着てもギャルソンには見えない。自分が良ければいいやと思いたいが、絶対にあの時の彼女が浮かんできちゃうだろう。だから、モノへの気持ちは、好きから嫌いに移行してしまった。せっかく買ってもらったから、1回2回は着るだろうけど。バカだなぁ。夫も昨日の印象をぬぐえないだろう。私がコートを着ている姿を母には見られたくない、これ以上は耐えられないな。だから、「着てみなよ」なんて言わなくていいのだ。誰かにプレゼントしたものを他人が試着したところで、何の得にもならない。自分の狭い心にも疲れちゃうしさ。

お義母さんは時々「女」になる。息子を愛している。そのため、ぼそっと棘のあることを言ったり、やったりする。それは仕方がない。私を思いっきり傷つけてやろうという態度ではなく、心の中にある「私を見て」「寂しい」気持ちが、ちらっと顔を出す程度なのだ。それくらい、自分もよくあるから仕方ないと思える。だから、誰も悪くないってことは分かっているのだけれど、どうも気持ちが上に向かないのはなぜだろう?多分、疲れてるのかな。ダイエットが上手くいってないからかな。
こうなると、痩せたところで、オシャレしたところで、自己満足すら得られないと考えるようになる。結局、世の中にはもともときれいな人やスタイルのいい人がたくさんいるのに、我慢しても微妙なところまでしか行けないじゃない。自分が似合っていると思ったコートも、第三者からみると全然似合ってないとか。もう、無難なもの着とこ。となるのは自然な事じゃないか?それでも、夫に喜んで欲しくて、自分の趣味じゃない服を着たりする。家族が似合うよって言ってくれる服を選ぶ。
もともとセンスがないから合わせ方とか下手だし、ビビっときたら買う方式だった。(そして個性的な服が集まる…)その頃は、笑われても気にならなかった。でも、身近な人にチクチク言われると、耐えられないのだ。悪気があっての言葉ではないと思う。
「それ似合ってない」=もっと素敵なあなたでいた方がいい。
なのかもしれない。けどさ聞いてもないのに身内だからって、大きなお世話じゃない?本当は「これ似合うかな?」って毎回聞くの疲れちゃってる。なんでもいいじゃないか。私はこれが好きなんだ。あなたはそれが好きなんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?