お湯はりも追い焚きもガンガンしてかんと
最近の私は圧倒的にインプットが足りてないと気づきました。やっと。
「何を急に意識高げなことを…!あんたは頑張りたくない人でしょ、ゴキゲン重視でしょ?」と言われそう。
いや、それはそうなの。おっしゃる通りです。
頑張りたくないし、働きたくないし、早起きとか人付き合いとか、やりたくないことは徹底的に避けたい。
もう、自分の気持ちにフタはしないんだ!
って決意しましたからね。
あと、テレビとかSNSとか、私たちを無限に過激なものにさらすものからも、距離を取るようにしてました。
未だにテレビは買ってないし(やっぱ欲しい…って何百回も思ってるけど)、Twitterのアプリも消したままです。(インスタはnoteシェアのために入れてるけど)
でもさ、そうやってストレスになりそうなものを全部避けようと思うと、もう「世捨て人」になるしかないよね。今の時代。
で、自分の中にこれぞという信念があって「世捨て」に全振りできるならいいんだけど、問題は、私はそこまでじゃないってこと。
「私は!私と!私の大事な人!それだけに集中!」と思える日もあれば、「え〜世の中のことわかんない…置いてかれちゃってる…ヤバいよな…」と焦る日もある。
あと単純に新しいもの好きだし、ガジェットとか便利家電とかめちゃくちゃ知りたいし、美味しいごはん屋さんの情報もゲットしたい。
ミーハーちゃんもしっかり居るのです。
で、この「世捨て」と「ミーハー」のバランスを取ろうと、ぐるぐるぐるぐる、来る日も来る日も思考を巡らす。
だからしんどいんだって。
私がやってることは、思考を深めるなんて大層なことじゃなく「世の中に溢れる情報から、必要なものを取捨選択して吸収する」ということを放棄して、自分の中にあるものだけで、それっぽい理屈をこじつけようとしてただけ。
そりゃ、しんどいよ。
だって、答え出ないもんね。
湯船にためたお湯を替えずに「綺麗にならんな〜温まらんな〜」と首かしげながらずっとかき混ぜてるだけなんだもん。
お湯はり替えんと、綺麗にゃならん。
追い焚きせんと、温くはならん。
そのまんまじゃ、いくらかき混ぜ方を変えようと、お湯は一生綺麗になんかならんし、むしろ汚れてく。しかも冷めきった水でしょ。
そんなのに浸かってちゃ風邪ひくよ、病気になるよ。
そういうこっちゃ。
でもね、昨日なんの気なしに「追い焚き」をしたら、なんかちょっとお湯の感じが変わったって話なんですよ。
追い焚きっつったって大したことじゃない。気になったことをサイトで調べるの面倒くさいからYouTube解説ないかなー、と軽い気持ちでフフンと調べただけ。
でも、それだけで「あ、え?待って、そんな単純ことだったんか」と、ちょっと世界の前提が変わってみえたんです。(まだ「みえた」程度です。そんなすぐには自分の身にまではならん。)
あと、自分がいかに無知かも思い出した。(これは今日仕事をしてて思ったこと)
光熱水費がもったいない!とお湯を全部そのまま溜め込んでリサイクルするのは、無理がある。ちょっとずつでいいから入れ替えないと。
そしていつか、ゴゴゴォっとしっかり「お湯のはりかえ」に至れたら、世界はガラッと変わって見えるんだろうね。
そうなれば、逆張りも抜け出せそうな気がします。
と、びっくりするくらい抽象的な話と例えになったのは、まさに湯船でこれを書き上げていて、そろそろのぼせそうだからです。
だめだ、もうタイムオーバーだ🥵
あがります。またね。
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