俺はジャーナリストではないが
これからウクライナ侵攻絡みについて書く。SNSで五月雨式にコメントしたりするよりは、一旦ここでまとめて吐き出した方がいい気がするんで。
まあまとめサイトみたいに論点をまとめるつもりはないし、長々とコラムみたいな感じで書くだろう。文章書くのは上手くないので、読みにくいだろう。読んでもらうのは時間と関心がある人だけでいいので、とにかく書く。
2/24 ロシア軍がウクライナに侵攻した。前々からいつ侵攻してもおかしくないことは十分承知していた。とはいえ、キューバ危機のように間一髪のところで撤退して終わってほしかった。しかし実際は起きてしまった。
その日はたまたま出社日で午前中は作業でバタバタし、トラブル続きで少し遅れた昼休みを取った時には、気疲れしていた。その時に初めて侵攻が始まったとTwitterで知ったが、衝撃を覚えつつも実感がイマイチ湧かなかった(まさかキエフとか国土全体的に攻められてるとは思っていなかった)。タイミングが悪かったといえばそれまでだが、普通によくなかった。
しかし夕方の休み時間に改めてスマホを開くと、インスタでやり取りし続けている2人のロシア人の友人AとNが、異口同音にプーチンを批判していた。
そのうち1人、Nは3年前にTinderでマッチングしてすぐ後のチャットで早い段階からプーチンdisをしていたし、その後ウラジオストクで会った時は街中でも英語でdisっていたが、しばらくは反政府的な投稿は見られなかった。ところがやっぱり声を上げてた。俺は同情して悲しみの顔文字スタンプを送った。
そのうち久しぶりにNとまあまあチャットしたが、きっかけがこの件だなんて嫌だった。しかも最初に来たリプライは「私のベストフレンズがウクライナ人で、露軍が街に突入したから家から逃げざる得なかった」だった。身近な人が巻き込まれてるなんて、普通に悲しかった。
そうか、露が宇を敵対視しているのは政治家目線の話で、市民レベルでは同胞のようなものだと、改めて実感した。N自身はスラヴの民族ロシア人ではなくシベリアの極寒の地サハ共和国から来たヤクート人で、見た目は完全にアジア人だが中身は立派なロシア人。それでも彼・彼女らからみてウクライナ人は兄弟みたいなもんなんだと思った。しかし政治がその友好を引き裂いた。ロシア国民にとっても悲劇である。国民みんながトリガーを引いたのではないのだ。あいつのせいだ。
まあ時差6時間のサンクトペテルブルクにいるNはこれから仕事ってタイミングだったし、気持ちを切り替えて前向きにしようとしたのか、途中で話題を変えて俺の以前やってたバンドの曲の1つを気に入って、未だに聴いてるよって言って褒めてきた。嬉しかったがその曲は別のメンバーが作詞作曲して歌って、俺はギターを弾いているだけ。まあそれのことを説明しつつこれからも自分のバンド(1人プロジェクト状態だけど)で活発にやっていくよと前向きに返した。それで終わった。
もう一人、Aからのチャットは重かった。今までAとは露・日のカルチャーや音楽の話など、基本的に前向きなトピックばかりでやり取りしていた。Nと違ってAから政治的な話が出てくることはなかった。自分からもそれを引き出すようなことはしなかった。
ところが、初めてAからプーチンという名前が出てきた。それも批判的に。そして気分が重い感じが全体的に伝わってきた。
理性的なAは耳鼻科医で(このご時世ではコロナ病院に従事し汗を流しエグってた)、真面目さゆえに、もしかして愛国的でプーチンに賛同しているのかなと勝手に思っていた。そうではなかった(ごめんなさい)。仮にいままで賛同していたとしても、今回の件で大きく失望したに違いない。それくらい、自分にはインパクトが大きかった。
Aは多くの命が奪われる戦争が嫌いだと言っていた。当然だ。俺も賛同した。そしてAもプテルブルク在住でこれから仕事だったから、すぐにでも自体が平和的に収拾することをお互いに願って一旦締めた。
しかし4〜5時間後、彼女からSOSのチャットがきた。やはり仕事に手がつけられないと。色々不満を言っていたが、嫌なことの一つに「多くの人がロシア人全体を嫌いになってしまいそう」ということを挙げていた。まあ理解の少ない人が抱きそうな「ロシア国民全員がPを支持している」というイメージだ。そこから文化の否定へと繋がる。あと経済制裁も。結局制裁でPooよりも国民の生活に負担がかかる。おまけにルーブル下落。加えてAはアメリカとかのロックが好きで、コロナ前はLimp Bizkitとかのロシア公演に飛行機移動してまで観に行ってたが、仮に今年コロナが収まったとしても外からアーティストが来なくなり、そういう楽しみ方ができなくなる。絶望でしょ、自分がAの立場に立たされたら、こんなの。
あとAも「Pは宇をナチって罵ってるけど自分自身がそうじゃん。皮肉だよ」とか言ってて、twitterの露にかなり詳しい有識者が述べてたことが露の一市民の口からも出ていて(街中では声に出せないだろうけど)、やっぱりみんなそう感じているんだろうなと思った。プロパガンダに対する違和感、あるいは冷えた眼差し。
自分もチャットで件に関する持論を述べたけど、対立することなく概ね同意だった。そんなAに「仕事頑張れ」とか言えるわけなく、「今日は無理しない方がいいね」と言った。それしかできることはなかった。そして感謝されて一旦チャットは締めて自分は疲れて寝た。
ここまでだらだらとパーソナルな叙事的文章を書いて、一つ伝えたいのは今回の決定はプーチンとその周りがしたことであって、日本人より少し多い全国民が決めたことではないのだ。自分は専門家や神ではないし断言はできない。ただ、これを機に露の文化や国民を含めた全てを否定するのは間違っている。まあ擁護できない人はいるのは事実。とはいえ、一人の決めた愚かな選択肢のせいで多くの人が(露・宇に限らず)巻き添えで苦しむのは非常に悲しい。
自分がこれからも音楽活動でロシア語由来の名前やキリル文字を多用したところ冷たい目で見られるかもしれないが、少なくともそういう理由で名前やスタンスを変えたりすることはしない。全然勉強せず習得できてないが、ロシア語もいつか話せるようになりたい。少なくとも相手が何を考えているのか理解するための手段としても
ここまでを第1章にして、これから第2章にしよう。
もしかしたらここまで読んでいて、あなたは感じているかもしれない。「あなたはこんな事態でも露に肩入れしてるのではないか?」
自分も書いていてそんな風に感じている。もちろん宇の文化とかに興味とかもある。しかし正直宇よりも露の文化への関心が高かった。
といっても、スラヴの民族ロシア人独自の文化というよりは、タタールやコーカサスやヤクートなど、世界一広い国の中に包括された様々な文化に興味を抱いていたからである。もちろん宇にはクリミア・タタール人独自の文化もある。そして露と宇の文化は互いに影響を与えたり受けたりしながら発展してきたと思っている。ただ、結果的に自分の中ではそういうウェイトになってしまった。
加えて、偶々としか言えないが、ウクライナに時折チャットするような友人がいないのだ(ついでにいえばベラルーシにも)。これに関しては国籍がだの国民性云々ではなく、偶々やり取りした人のパーソナリティゆえにそういう結果になってしまった。ついでに言えばトップレベルで仲良いAもNも民族的にスラヴのロシア人ではないのだが、これもあんま関係ない。要はパーソナリティの問題だ。何人だろうがいい人もいれば悪い人もいる。ただ、何が言いたいかと言うと、その土地の人間全員が悪人ではないと勘違いしないでほしい。そういう話だ
自分は何よりも、怒っている露国民よりも傷ついている宇国民に対して悲しんでいる。当然なんだけど。ただ、身近な人が直接巻き込まれていないのだ。だから長々と書けない。かと言って架空のでっち上げ話も作るわけにはいかない。もどかしい思いをしている。
話をさっきのように個人談に戻すと、あの日仕事終わってから帰宅するために電車に乗り、スマホで色々情報を知るうちに、全身から怒りが込み上げてきた。このまま帰ったら後悔する。そして途中で方向を変え、渋谷駅前ハチ公像付近の在日ウクライナ人による抗議集会のところに言った。ウクライナ人が国旗やプラカードを掲げ"No war for Ukraine"と唱える。みんなの目からは切実な訴えを感じ取れた。しかし俺は誰にも声をかけられなかった。極度のシャイネスが憚った。結局自分は見守るしかなかったが、それでも心からウクライナの人々に祈りを捧げた。結局自己満足かよって言われたら反論できん。でもただ帰るよりはアクションを起こせただけ十分だった。
第3章
その夜の渋谷駅前、言うまでもなく多くの人がいる。待ち合わせている人、スクランブル交差点を行き来する人、ナンパ師、地下アイドルらしきグループの看板持ってライブ宣伝している人。もちろん彼・彼女らは抗議している人たちの側にいて(通り過ぎて)、一度は目を向けていると思う。足を止めてる人もいた。しかし、他人事だと思っている人がたくさんいてもおかしくない。
この今の渋谷で色々活動できるのは、戦争なき平和が実現されているからっていうのは言うまでもない。表現の自由もあるし、法を犯さない限りは何でもできる。
祖国を思って平和を訴えているウクライナ人たちと、自分のライブ(店?)の看板を持って声かけしているアイドル?たち(自分はその時疲れていたし何もかも違うかも)が至近距離にいる空間。別にカオスと呼べるものではないが、不思議な感覚がした。別に後者の女の子たちに慎め自粛しろとは思っていない。自由だし。
しかし、ここで思い出した、宇を侵攻している国が我が国の隣に居ることを。それもちょっとした海峡を隔てて。おまけに自分の国の領土を占領しているし。モスクワ・キエフからかけ離れているし、(基本)ヨーロッパ人の国だからイメージしにくいだけで、北海道のすぐ上に面している。そして、その国のトップが今はボケてるのか知らんが、トチ狂っている。
つまり、同じように北から攻められてもおかしくない。
もうロジックが完全に通用せず、今まででは考えられなかったセオリーで戦争が起きてもおかしくないかもしれない。それも遠くない日に。
要は、件のことは我々にとっても他人事ではないんだと。まあ他の人も異口同音に唱えているし、俺だから言えることはない。しかし、憲法9条があるから守ってくれるなんて理論は通用しないに違いない。
戦争したくないよ、銃を持ちたくないよ。けど、そういう展開が自分に転がってくるだろう。
この国には自衛隊がいる。しかし、できることは限られている。じゃあ米軍が守ってくれるのか?そうとも限らない。
。。。正直この辺の軍事的な話は書きたくない。今まで目を背けてきたというのがあるが、軽々しく専門外のことを自分の言葉で書くことはできない。お茶を濁させてくれ。書こうが書かなかろうが、叩かれるんだよ。
ただ、一つふと思っていることがあるので、それは書かせてほしい。
トルストイの「アンナ・カレーニナ」の終盤では、人妻アンナと不倫していたヴロンスキーはアンナの自殺後、高揚する汎スラヴ主義で同胞のセルビア人・モンテネグロ人を救うという名目で、志願兵として露土戦争に出向く。その戦地に向かう列車の中でカタワーソフという人物が出願兵たちと個々に話すシーンがある。しかし、そこで描かれていた兵士たちに対する視点はネガティブであった。色んな職場を転々とした者や、士気は高いようだけど「結局みんなが行くから」という理由で出兵した者など、概ねボンクラたちとして描かれている。おそらく今露から宇に行っている兵士たちも変わらないんじゃないかなと。定職に就けないロクでもない人もいれば、本当は戦争したくないのに派兵させる人もいるだろう。本当に兵士全員が戦いたくて行ってるのだろうか?完全に憶測の域から出ないけど、なんかそんなイメージがする。戦争は兵士にとっても悲劇だ。
ここまで長々と書いといて何だが、自分は露・宇に住んだことがない、数日間ウラジオストクにいた程度なので、書いていることは知ったかばかりかもしれないし、分からないことも多い。が、自分が思い浮かんだことを雑多に書き示した。
最後に、これを書いて締めくくるか。
ソ連末期に出てきたロックスター ヴィクトル・ツォイ(Kino)。彼の書く詩は、直接的ではないものの、反戦や体制批判について書かれたと言われている。本当にそういう意図があったのか、若くして事故で亡くなったので当人に聞けないが、でも彼の書いた(作った)曲たちは今こそ聴かれるべきだろう。その中でもとりわけ代表曲を。(そういえばウラジオストクで酔ってNとその辺にいたストリートミュージシャンと一緒にこれを歌ったな)
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