ԱՄՆ

ここ1ヶ月ぐらいは今までに考えられなかったペースで映画を見ている。シアターでも、TSUTAYAから借りたDVDを自宅PCでも。10月は10本くらい観てる。

そして今日は『タンジェリン』(2015)を観た。クリスマスイブのLAにて、2人のLGBTQの男娼を中心に描いたヒューマンドラマの作品。ジャンルとしてはコメディ扱いだけど、あからさまにふざけてるやつではなく、観ている間はあまり笑えなかった(後々思い返すと面白い場面やセリフはいくつもあった)。

登場人物は専ら、アメリカの社会におけるマイノリティしか出てこない。性的な部分もそうだが、人種的にもそう(アジア系はあまり出てこなかったが)。明らかにエリートな白人といった人物が長時間出てくることはない。なので、必然的にセリフは猥語だのスラングばっかしか出てこない。『トレインスポッティング』のようなUKワーカークラスの喋る感じとは全然違って、こっちは生々しくて最初のうちは引く。流れる音楽も基本的にEDMみたいなのばっかで最初は癪に触る(ただ、この映画は名曲を流して感動させようとしていないことは留意。あくまで「雰囲気作り」で流れている)。あとは、全セリフの1/3くらいがアルメニア語で話されている(重要な登場人物であるアルメニア移民タクシードライバーとその家族のやりとりが専らそれなので)。さすがにスラングか否かすら全く分からない。

しょうもないきっかけで他の作品と一緒に借りたわけだし、全然期待していなかったけど、後半のクライマックスであるカオスなシーン(ネタバレしたくないので内容は割愛)を得て、最後は悲しくなって感傷に浸ってしまった。要は社会のはみ出し者はこんなにも辛いことがあり、それでも強く生きていくって。最悪のケースだと、家族のようなかけがいのない物を永遠に失ってしまう。それでも生きていくしかない...のか......

まあアメリカという超格差社会では、基本的に失業保険で曲を書きながら過ごすといったことはできる訳なく、あらゆる意味で強くないと生き抜けられないのである。いや、日本でも同じかもしれない。結局は強くないと上に上がれない。仕事ができるとか、建前使ってあざといことして上にのし上がるという風に。

ハッピーエンドにならず、胸糞悪い結末を迎える。しかしまだ救いの光もある。多くの友人を求めずに一人そっとして生きていたい自分にとって、今までもこの先も数多くの試練がある(あった)が、それでもただ生きていくしかない。

最初の方に「ジャンルとしてはコメディ扱いだけど 〜 観ている間はあまり笑えなかった」と書いたけど、どんなに嫌なことがあっても笑い飛ばそうって意味だったんじゃないかと終わってから思い続けてる。

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