偽りの自分、そんなものは「犬に喰わせてしまえ!」というのが師の教えです。(「師」とはキネシオロジーを教えてくださる「師匠」とは別の存在です)。
「偽りの自分」とはペルソナのことです。自分が自分であると思っている「我」のことです。「我」には反応しかありません。インプットに対するアウトプットだけです。
「十牛図」というものがあります。悟りの階梯を十段階に表現したものです。(イエス•キリストのシンボルは魚ですが、ゴータマ•シッダールタのシンボルは牛です)。
十牛図の表す十の段階を以下に記します。
尋牛(じんぎゅう)
見跡(けんせき)
見牛(けんぎゅう)
得牛(とくぎゅう)
牧牛(ぼくぎゅう)
騎牛帰家(きぎゅうきか)
忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)
人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)
返本還源(へんぽんげんげん)
入廛垂手(にってんすいしゅ)
「十牛図」では牛を見つけて家に連れ帰った後、牛はいなくなります。その後、牛を連れ帰った本人もいなくなります。
いなくなるのではなく、元々いないのです。
従って「我」を食べてくれる犬もいなければ、食べさせる自分もいないことになります。
ペルソナは仮面のことですが、そんなもの、「犬も喰わない」でしょう。
仏の教えが「我」を喜ばす道具になっていないか、「我々」は常に注意深くあらねばなりません。
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