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「平均的である」という罠

ニュースをみて平均年収が○○円という話や、日本人の平均身長は○○cmという話を聞いた時に、自分がその平均値に対して「あ、意外に平均より上だ」と思って安心したり、「えっそんなに低いの?」と不安になることってありませんか?

平均値というのはすごく不思議な数字で、まるで全ての人がこの数字近辺に当てはまるのではないか、そうでない人は「変わっている」という感覚を抱きがちのように思います。実際、統計学的にも、正規分布のように一見ランダムのような事象でも中央の値の発生率が高くなるという傾向が見られるます。それが故に私たちの社会は、「平均からどれだけ外れないか、もしくは適度に上に外れられないか?」と考えながら生きているようにも思えます。

工業化社会の中では、平均値はわかりやすい評価の基準として機能しています。代表例が、偏差値です。確かにテストの点数はその分布で成績の良し悪しを決めることが出来るかもしれません。ただそれはその人それぞれの個性そのものを指し示すわけでなく、平均値自体は特徴や特性を表すには向いていません。

個人はそれぞれ平均値の集合体ではなく、「外れ値」の組み合わせで出来上がっているのであり、平均値からの「外れ具合」で評価すると評価する値の軸が変わるごとにその評価は変わって行ってしまいます。

ここに平均値の罠が潜んでいます。人や物を「評価すること」は一般的な位置からの距離を比較するのではなく、「どこか違っているのか」を認識することとした時に、これまでとは違った物の見え方ができる気がしませんか?

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