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なぜアイデアは論理的に生まれないのか?

少し前までは何でも論理的に考えるのが仕事のやり方と言われていたのですが、それではイノベーションは起こらないとか新しいものを生み出せないと言われるようになったと思いませんか?またあれこれ理由を聞く人は理屈っぽいと少しネガティブな印象を持たれる方もいるのではないでしょうか?なぜ最近「論理的に考えること」が少し印象が悪くなってしまったのかを改めて考えてみました。

例えば、「果物は甘い」そして「りんごは果物だ」という「前提」があったとするとそこから「りんごは甘い」という推論ができます。これを論理と呼びます。こうした推論には、先ほどの「果物は甘い」という一般論から「りんごは甘い」とする「演繹」と「りんごは甘い」そして「みかんは甘い」ので「果物は甘い」という個々の事例から一般化する「帰納」という大きく分けて2つのアプローチがあります。

論理的であるということは論文を書いたりするにはもちろんビジネスとも相性がよく、さまざまなシーンで活用されていると思います。例えば「学生はみかんよりりんごを買うことが多い」、「みかんとりんごの違いは甘さだ」よって「学生は甘いものが好き」なので「甘い商品を作ろう」というような話が今日も行われていると思います。そして前提となる情報が多ければ多いほど精度は高くなるのでビジネスでの判断に役立っていますよね。

では論理的なことはなぜイノベーションにつながらないと言われることを耳にするようになったのでしょうか?ますイノベーションとは何かというのを定義したいと思います。世界的に著名なビジネスデザイナーである濱口秀司さんは「見たこと・聞いたことがない」・「実行可能である」・「議論を生む(反対がある)」と定義されています。これらの条件を満たすアイデアを思いつくには多くの人が持つ「一般的なアイデア」を知りそこから発想を飛躍させる必要があります。論理的であるということは前提から推論までの「飛躍を許さない」ので基本的に同じ情報源であれば導かれる推論は同じになります。つまり「一般的なアイデア」に到達する可能性が高くなるわけです。この為論理的な思考はイノベーティブな思考と距離があるわけです。

しかし論理的思考は決して不要なものではなく、イノベーティブなアイデアを思いついてからそれを相手に伝えるための「表現の手法」として非常に有効です。アイデアを改めて見直し、伝える相手が納得して理解できるようになるためにはその内容に「飛躍」があると伝わりません。

このように考えると論理的思考ということと、イノベーティブな思考つまりは創造的思考というのは必ずしも正反対の意味を持っているわけではなく使う段階が違うある意味兄弟のような思考方法なのではないでしょうか?決して論理的思考はイノベーションには向いていないというのは正しい捉え方ではないのかなと思います。


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