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子供のように遊ぶことは創造的で難しい

公園を横切る時、子供たちの楽しそうな声が聞こえてくると自分が小さかった頃を思い出したりするかもしれませんが、「なんであんなに楽しそうに遊ぶのか」と思いませんか?公園にあるのは見慣れた滑り台やブランコなのにまるで遊園地に行っているかのようにはしゃいでいる姿を見るともしかしたら子供にしか見えないものが見えているのかもしれません。そこに子供のように遊ぶことへのクリエイティブさを感じると共に、大人がやるには難しいなぁと思いました。

例えば子供が人形遊びをしたり、段ボール箱で宇宙船を作る遊びを例にして考えてみます。子供は人形や段ボールを単純なモノとして認識しているわけではなく、人形にママ役を配役したり箱の側面に窓の絵を描いたりして「別の意味」を付け加えています。そして友達の人形のパパ役と会話してみたり、宇宙船が飛び立って冒険に出るなどの「物語」を作り出しています。時には出来上がった宇宙船を親に自慢してみるなど発表会も開催してきます。

これが全ての遊びに共通する要素ではなく、いわゆる「ごっこ遊び」ですよね。フランスの著名な哲学者であったロジェ・カイヨワはあらゆる遊びを4つに分類して、特にこうしたごっこ遊びをミミクリ(模倣)行為と名付けて「物真似のように,遊び手が自分以外の何かを演じる「擬態」的な遊びの総称」と定義しました。ごっご遊びとは何かの真似をしていることを楽しむ遊びということですね。

でもなんでもいいから真似をすればいいのでしょうか?例えばマグカップをママ役に配役したり、花瓶を宇宙船と思って遊びなさいと言われたら、ちょっと辛いですよね。だとすると人形とママ役、段ボールと宇宙船はどこかしら「似ている」から真似ができて子供は知らず知らずのうちにそのそれぞれの類似性を見出しているのだと思います。

これは創造性を発揮するプロセスに似たところがあります。新しいことを考える創造的思考には物事をいつもと違う視点から捉えることで、バイアスに捉われた論理的思考から「飛躍」することが必要です。バイアスは自分の知識や経験を元に構築されているので、経験者や専門家ほど視点を変えるのは困難になります。例えば段ボールの開発者は家にある通販の箱を見たらどういった素材や構造で出来ているかという視点でみるでしょうし、さすがに宇宙船に見えるとは言わないですよね。だからこそ知識や経験で視点が固定されていない子供だからこそ、柔軟な見方が出来るのかもしれませんね。

子供の意外な視点は、これまでの知識や経験とは全く違う角度の気づきになるかもしれません。もう大人になってしまったら子供のころのように無心で公園ではしゃいで遊ぶことはそう簡単ではないかもしれませんが、自分や親せきのお子さんと週末に一緒に遊んでみると意外な発見があるかもしれません。ちなみにやり方が全部決まっているゲームなどではなく、「ごっご遊び」を誘ってみるのはいかがでしょうか?



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