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短編「何も気にならなくなる薬」その20

「これ、いつまで続けるつもりなんですかね」
繰り返す日々にうんざりして自分自身に問いかけてみる。
さる旅人が言うには「終わりなどはないさ、終わらせることはできるけど」
何処かで聞いたことがある言い回しが頭をよぎる。
結局私は何処かで見たことあることや聞いたことのあることくらいしか書き起こすことができない。
「とはいえ、これがあなた向けの処方箋なわけですから、定期的に行うようにして下さい」
「それ以外の療養が見つからなかったからではないか」
「まるで私に責任があるかの物言いだ。元はと言えば、あなたが精神的に脆くなければこんなことをする必要もないわけだ」
私が癇癪から顔を歪めると医師は何処か満足した表情を見せた。
「経過観察は終了です。いい結果が見えてますよ、引き続き日記を書くことをおすすめします」
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「コンビニで物を買う人は我慢のできない人だ」
そんな物言いをする人がいた。
こんな言葉にいちいち目くじらを立てる必要はない。
人間というのはどうにも自分の思いついた考えを大衆に理解してもらいたくなるものだ。
そのために、それらしいことをそれらしい形にして発信する。
ときには、挑発的で、
ときには、お涙を頂戴する。
普段から色々なことに我慢してるのだから、
これくらいの贅沢を許さないでいったい何を楽しみに生きろというのか。


誰かにダメ出しをしてもらうことはとても大切だ。
とはいえ、そのダメ出しにも種類があるが……
兎にも角にも、自分がやっていることが正しいかどうかは、自分だけでは判断しきれない。
最終的な舵取りはすべて自分自身に責任があるが、
風向きや地図、その他諸々の誰かが作った道具やその知識を借りることは必要だ。
そういった意味で他人のダメ出し、もとい意見を仰ぐのは欠かせない。
今の私のこの状態はボート一つで海に出て、闇雲に漕いでいるのと変わらない。
下手したら海のつもりが湖かもしれない可能性もある。


時々、人のやること成すこと全てにケチを付ける人がいる。
こういう人は自分のことすら思い通りにいかないので、その憤りを他人にぶつけているだけだ。
ストレスや怒りの発散方法は数種類あって、よくあるのが好きなことをして忘れるのが一つ。
もう一つが他人のせいにして自分に問題がなかったと言い聞かせるのが一つ。
大体この二つだ。
さて、この場合、私はどちらになるだろう。



美味しいご飯を食べます。