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過剰適応からの転落

私は第一志望の高校に合格した。しかし、入学してから精神を病み、早退がちになった。それから2年生の9月から不登校になった。

1年生の時に精神が病んだ理由は明確だ。新しい環境に慣れなかった上、担任がとても不快だったからだ。担任はヒステリックなアラサー教師。問題児として目をつけられ、不必要に介入されたのが尚更厄介だった。

2年生になってからは担任は左遷され、不快な教師に振り回されることはなくなった。7月まで学校生活も決して苦痛には感じなかった。しかし、転校したいという思いと同時に漠然とした希死念慮があり、ネットの言動が決め手となり8月10日に命を絶つことを決意した。

夏休みに入ってからは勉強は一切せず、だらだらと過ごした。そして当日、12時半頃に都内の公園で決行したところ、近くにいた作業員の2人組に助けられ、自衛隊病院に救急搬送された。その後は親に要求を押し通して転校先の通信制高校を探したが、カリキュラムのレベルが低すぎて選択肢としてはあり得ないと確信した(個人的な意見です)。そして、8月末から3月まで休んで留年することを決めた。

勉強は進めていたがモチベーションが保てなくなり、その後次第に学校へ行きたくなった。結局、11月下旬頃から再び行きはじめた。授業に大きく出遅れることもなく、成績はやや低めなものの進級はできそうだった。

そして1月に修学旅行があった。不登校になっていた10月頃に行かないと伝えたため、行けなかった。修学旅行の時だけ参加するとなれば我儘が過ぎると考えたからだ。修学旅行期間中は出かけるなど好きなことに時間を注いだ。そして、修学旅行明けの日曜日の夜、唐突に死にたくなり首を吊ろうと公園に出かけた。結局躊躇して帰ったがこれを機に再び3月まで休むことを決めた。

そして、その数週間後に進級できないことが確定した。高卒認定試験には合格しているので中退して大学受験に臨むこともできたが、高卒資格は担保したいことから、4月から2年生としてまた再出発することを決めた。


つい最近まで、なぜ諸悪の根源がなくなったのになぜ4〜7月学校へ行きたくなかったのか、また実際に夏休み明けから行かなくなったのかがわからなかった。しかし、今考えれば馴染もうと過剰適応していたからかもしれない。

人の立場や気持ちを考えるのが苦手なことには自覚があったが、自分自身のことさえ考えることが出来なかったのだ。相手に合わせようと過剰適応することにリソースを割く前に、まずは自分自身に目を向けてみようと思う。

補足:筆者はASDとADHDと診断されています


追記:殴り書きの文章をコピペしたものなのでおかしな文章になっていますがご了承ください。
3/20 20:06

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