トラウマ治療を受けれる人は運がいいというやりきれなさと、それでも私が書く理由



昨日ようやく、トラウマ治療について書き始めることができましたが…。
良さを書いておいて本当に心苦しいですが、トラウマ治療は金銭面なと色々ハードルがあることも書いておかなければなと。

それを少しでも変えたくて、何もできないけどわまずは治療を受けた人間が経験を書こう。私は今、そんな気持ちでいます。
自分の運の良さを痛感しているからこそ、治療を受けることが「運」に左右されるなんて、本当はあってはいけないと思うからです。

(勿論、ご努力の結果…という方もいらっしゃると思います。でも少なくとも私はちがいます。
治療を受けられなくてそれでも歯を食いしばって必死で生きているサバイバーは沢山いるはずです)

1.トラウマ治療は金銭面も情報面も、ハードルが高いという現実…

私が受けることができたトラウマ治療は、存在を知っていても諦めている方が多いです。自費診療だから高額な費用が掛かるし、時間も期間もかかる…。虐待に限らずトラウマを抱えた人は、経済的に苦しい人が多いのに、やり切れないことです。

また私が受けられた治療を実施できる臨床心理士さんも、決して多くはない…。
私がトラウマ治療(専門のトレーニングを受けた臨床心理士さんから受けました)を受けられたのは、運が良かったから
なのです…。
そこは本当に、書きながらもやり切れない思いになっています。

そして、実は情報面での課題も多いです。
たとえば今トラウマ治療を受けたいと思ったとします。私が受けた「EMDR」という手法の名前で検索すると、自費で受けるものの情報しか出てきません。

(※のちに書く予定ですが、私は主に3つの手法を組み合わせていただきました。
EMDRが有名ですが、安全などの理由で実施できない方もいます。ただ、他にも手法はありました。)


実は「え?私保険診療で受けられたよ」という話を聞いたこともあります。でも私が条件・施設などについて調べても、トラウマ治療の保険診療についての情報は引っかかってきませんでした…。


大きな病院所属の臨床心理士さんが行うトラウマ治療は、精神科医の指示があれば保険適応なのかな?
などと考えたりもしましたが、病院所属の方は自ら情報発信しないんでしょうね。

ネット検索して出てくるのは、開業している臨床心理士さんのサイトばかりです。もしかしたら専門家の情報発信の偏りがあるのかなと「憶測」しています。
ただの当事者である私には分からない、その世界の事情も色々あるのかもしれませんが…。

というわけで、結局わからないことが多いのが現実です。当事者がトラウマ治療を受けるには、情報面の課題も多いです。

自分が受けたい手法を知って、それが実施できる治療者を探し出す(そして、もしかしたら保険診療で受けられる施設を探す)…。
心身の不調を抱えた当事者には、大変な作業です。当時の私なんて、初診予約の連絡を取るのもしんどかったくらいですから。

トラウマ治療、保険診療にしてほしいな。せめて医療費控除の対象にしてほしいな。
そして、分かりやすい情報を発信してほしいな。

1人の当事者として、切に願っています。


2.私がトラウマ治療の経験を書く理由

2-1.私がトラウマ治療のことを知ってほしい相手

私は「トラウマ治療を受けなければ回復できない」とは思っていません。

ただ私の場合は、専門家の力を得る必要があったなと…。過去が過去に収まったり、心身の不調が楽になったという意味ではありがたかったです。

(ただこの「専門家」というのが色々ありまして…この辺りを書きたいのも、治療経験をnoteにまとめる理由です)

今苦しんでいる当事者の方には、こんな治療もありますよ、という気持ちで書いています。
トラウマ治療が知られることで、ご本人が治療に少しでもアクセスしやすくなったり、治療への理解が進んだりしたらいいなと…。

そして可能なら、治療が必要な人、今治療を受けている人の周囲の理解の助けになれればと願っています。

というのは、私は治療を受けている最中、夫に今何をしているのか説明することが難しかったです。

治療の最中は、自分のなかで何が起こっているのか分からない。説明のためにつらい記憶を改めて思い出すのは、あまりに苦しい。
そして当時は頭が働いていないので、現状を言葉にまとめるのも難しい。

夫はモヤモヤを抱えながら、それでもずっと待っていてくれていました。
本当にありがたかったけど、ただただ申し訳なかったです。苦しい治療を受けているご本人と私は別人格だけど、1ピースでもその方の言葉を補えたらなと。

そして私が、治療体験を通して多くの方に知ってほしいことがあります。

2-2.私は少しでも「トラウマを抱えた人が責められる」社会を変えたいのだと思う

虐待サバイバーは、第三者から責められることも多いです。この国では虐待されて亡くなれば、みんな同情して涙を流す人もいます。
でも、たまたまサバイバーが大人になるまで生き延びてしまうと、将来心身に不具合をもたらすほどの被害にあったなんて理解してもらえないんです。

私がキリスト教2世として通っていた教会ではよく、「その人が今生きているということは、それだけ愛情を受けてきたということだ」という説教がありました。肉体が生きているという外側だけでは、他人が分からないことなんて山ほどあるのにです。

そんなわけでサバイバーは、動けないこと、働けないことなどで周りから責められます。
そして自分の人生を壊されそうになって親から離れれば、親不孝だと責められます。

私は「サバイバーには優しくしてほしい」とは望みません。どの人も、生きることは大変だから。
ただ第三者には、サバイバーの事情を理解できないからと言って責めて、さらに追い詰めないでと思っています。

「ああ、自分にも理解できないことはあるんだな」という余白を、自分のなかに作ってほしいのです。

そしてそのためには、
・トラウマは気の持ちようではなく、治療対象となる場合があること。
・トラウマ症状は気持ちの問題ではなく、脳や神経の不具合であること。
・そのような不具合をもたらす虐待が存在するということ。

を、私は知ってほしいのです。

以上が、私がトラウマ治療の経験を書く上での問題意識と「抱負」です。最初に書くべきでしたが、まとめるのに時間がかかり、記事の順番が逆になってしまいました。

少しずつ、少しずつ、書いていきます。
お付き合いいただければ、嬉しいです。

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