「日本のキリスト教は、聖職者を特別視しすぎかも」と思った本

トラウマ治療がある程度進んできて、
「あ!私良くなってきたかも」と思った瞬間がありました。それは小説が読めるようになったこと。
集中力が回復していて、話の筋や登場人物の心のひだを読み取れるようになったのでした。

昔の小難しい小説が多かったのは、単に図書館で借りるときに待たなくて良かったという、しょうもない理由です…。
(新刊やベストセラーは、予約待ちがズラリ…)

そんな時期に読んだ本のひとつが、スタンダール作『赤と黒』でした。

※私が読んだ翻訳です。誤訳が多いという話もあるのですが…読みやすかったのは、ありがたかったです。


元々タイトルは知っていたのと、長編小説と言いつつ上下巻で終わるという「お手軽感」もあって手を取りました。
(昔の小説を読んでいると、数巻に渡るものが多いので「ストーリーの長さ」への感覚がおかしくなってきます…)


1.主人公は、「出世のため」に神父を目指す

舞台はナポレオンが失脚したあとのフランスです。フランスは一度フランス革命で王様を処刑していましたが、その後一時的に王家が支配する国になっていました。

(フランスは『ベルばら』あたりから、政治体制が変わりまくるのですが、私の力量では説明できません…あしからず)


主人公のジュリアンは、頭のキレる美青年で野心家です。貧しい家庭に生まれますが、立身出世を夢見て勉強を続けます。
そんな彼が出世の手段に選ぶのが「神父になること」でした。

『赤と黒』のストーリーの面白さは本来、ジュリアンの人生が目まぐるしく動いていく疾走感だったり、ジュリアンのナイーブな苦悩(?)だったりするのですが…。
(ジュリアンの人物像、私はあまり好きじゃないです。でも、ストーリーを引っ張っていくパワーみなぎる主人公だとは思います)


でもここは、伝統キリスト教2世当事者が書いているnoteです。
ここでの『赤と黒』最大のポイントは、「ジュリアンが出世のために神父を目指した」というところなんです!

(『赤と黒』では、それ以外にもジュリアンが神学校に入ったあとの農村出身の神学生の様子などが書かれていて興味深かったです。
作中では彼らの、考えずにただ信じる様子が否定的に書かれるのですが、ジュリアンは神父候補としては「彼らに勝てない」のです。)

もちろん小説はあくまでフィクションです。
それでも、この部分を読んだときに思い出したことがありました。学生時代に講義で読んだ文章です。

そこには少し前までのヨーロッパでは、労働者階級が成り上がる手段が、聖職に就くことだったと書かれていました。

俗世の民である間は、階級の壁を越えることはできません。しかし牧師や神父は、階級を超えた存在です。教会の中には、俗世とはべつの出世の世界がありました。
キリスト教の力が強かったころなら、下手な上流階級よりも尊敬され暮らすことはできたでしょうね。


2.日本のキリスト教界はあまりにも、聖職者を「欲から遠い存在」に置いているのではないか…


そして、当時すでに「純粋な信仰者」でなくなっていた私が考えていたこと…。

「そうだよね!日本の聖職者だって、本当は偉くなりたいし、尊敬されたい気持ちは強いよね」
というものでした。
日本のキリスト教では、神父や牧師は「欲のない存在」として扱われすぎてきたのでないかと、ふと思ったのです。

特に私のいた宗派では、聖職者というと、清貧と禁欲というイメージが強かったです。生涯独身で、質素な暮らしをして、ただただ神に捧げる人生…。

でも私には、司祭の「人に敬われたい」「特別扱いされたい」という欲は、一般信徒よりも強いように思えてなりませんでした。
虚栄心は衣服な宝石とちがって見えない分、本人にも周りにも分かりにくいから厄介だとも思っていました。

(ただ献金を過剰に要求する教会の話を聞いていると、私もパワハラに遭ったとはいえ金銭的被害がなかったのはありがたかったと思う…)

こうした欲をないものとして扱ってしまうことが、教会内のゆがみにも繋がっていたのかなとぼんやり考えました。
あって当然のものをないことにしてしまうって、信徒も聖職者もお互い苦しいよね、なんて思うのです。

キリスト教の"本場"は、もしかしたら、
「まあ神父や牧師になれば、出世できるしね…」
みたいな空気があって、信徒も聖職者ももう少しドライなのかもな、なんてことも考えました。

聖職者を欲から切り離された、聖なるところに置きすぎること。これって、日本のキリスト教界の息苦しさの一端なのかもしれないなと…。
そして、その息苦しさが2世を苦しめてもいるのだとも…。

とはいえヨーロッパに、キリスト教2世問題がないかというと、そうでもないのでしょうね…。
ただやっぱり、日本ではマイノリティのコミュニティに放り込まれて、清い存在であることを大人たちから要求されるのは苦しいですよ。

たぶんこの「清さへの要求」は、日本でとくに強いのではないかと思うのです。そして、そのことも聖職者を過剰に清い存在として扱うことは地続きだと思うのです…。


当時は、回りくどい読書と思考回路をしていたなあと思います。
ただ直接的に「書いてあったからそうだと思った」わけじゃないことが、自分には大切だったんだと思います。

自分がキリスト教のことをとくに考えずに選んだ本を通して、勝手に読み取って考えて、自分が無意識に考えてきたことが輪郭をもった…。
そうした過程が必要だったんでしようね。

私のキリスト教をめぐる読書感想文は、基本こんな感じで進みます。よかったらお付き合いください。


最後に、『赤と黒』の作者スタンダールへ。
勝手なことばかり書き散らして、ごめんなさい。
『赤と黒』は面白いので、私のnote関係なく読んでみていただきたいです(汗)


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