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能動的に、本を読まない。

いつもお世話になっている、キックボクシングのK先生のInstagramストーリーズで見かけたこの一文。

「本を読まないと決めている私が、本を買っちゃいました」

疑問がいっぱいだったので、DM(ダイレクトメッセージ)を送ってみた。
ち「どういうことですか?興味があります」
K「読むよりも行動しています」
ち「それは、アウトプットということでしょうか?」
K「はい。どの本も結局は行動しろ、と書いてあるので。
なので、本を読む時間があったら行動する方が向いています」

なるほど、即実行のK先生らしい考えだ、と思ったのと同時に、モヤっとした。

わたしは、そこでリアクションだけを残し、DMを止めた。
そこで
「なぜ、その投稿に違和感を覚えたか?」
を深掘りしてみることにした。


自分が大の本好きなので、「本を読むくらいなら」というところに自分の信念、行動を否定されたように感じてしまったのではないか?
⇨これはあくまでも個人の意見なので、本を読む人は読めばいいし、読みたくない人は読まなければいいだけの話なのだ。
しかしながら、幼少期から本と蜜月関係にあるわたしにとっては、解せなかった、ただそれだけ。

すでに違う次元にいるのではないか?
⇨わたしは本に救いやヒントを求めて読み漁っているのだが(娯楽も大いにあり)、K先生は様々な本を読んだ上でその結論に辿り着いて、いうならばインプットのフェーズを終え、今はひたすら行動でアウトプットしている、というわたしなりの仮説。

ここで、わたしは以下の分け方でマトリクス分類を作ってみた。(図が出せなくごめんなさい)

  • 能動的、受動的

  • 本を読む、読まない

能動的・本を読む⇨読書家、本が好き
受動的・本を読む⇨読書感想文のような渋々読む読み方、課題図書
受動的・本を読まない⇨活字が苦手、本が嫌い
能動的・本を読まない⇨今回のケース。ジャンルにもよるのかもしれない、

今、このマトリクス分類に「ジャンルによるかもしれない」と付け加えたのは、
K先生の「結局、どれも行動って言っているでしょ」というニュアンスが感じ取れたからだ。
前述するのを忘れたが、K先生は男性の方だ。男性と女性では、読む本の種類に多少の差がある気がする。(ここでジェンダー差別云々の議論は流していただきたい。)
一般的に、男性は解決脳、女性は共感脳と言われている。
ビジネス書1冊をとっても、女性むけのものは優しい語り口で書いてあるものが多い。
対して男性向けのものは論理的、言い切り、やはり彼のいう通り「まずは行動せよ」を打ち出しているように感じる。
同ジャンルを読んで、結論が同じところに行き着くのは納得だ。
それは「読まない」という選択肢をとるのも合点がいく。

だが、ジャンルを変えれば、「行動」だけではなく、違うことを結論とするものも存在するはずだ。
それを「読まない」と片づけるのも機会損失にはならないか?
と、勝手に考えてしまう。
こういう人が本の著者、編集者と話してみたらどうなるだろうか。
むしろ、YouTubeなど、発信する側にうってつけなのではないか、などと妄想してしまう。
あ、本人ほったらかしだった。ごめんなさい。


あえて、読まない。
これで思い出したのだが、わたしの大好きなOURHOMEのEmiさんが
「育児書は、あえて読まない。」
と著書やvoicyでたびたび発言されていた。
またそれとは考え方が違うだろうが、あえて読まない、という選択肢があることをここで改めて考える事ができた。

わたしがここで考えた結論は、

  • 本の読み方には、能動的、受動的/読む、読まない でマトリクスわけできる。

  • 行動ができる人には、もしかしたら自己啓発のようなインプットは必要ないのかもしれない

  • 読む、読まないは本人の自由。楽しい選択ができたらよい。

  • 一つのジャンルに飽き飽きしていたら、他のジャンルの本では違った見方をしているかもしれない。

K先生の一言から、自分のジャッジ癖、凝り固まった価値観にも気が付けた。
違う意見をただ切り捨てる、だけではなくて人と話すこと、考えることの大事さにも気づけた。
非常にいい機会だった、と勝手に人の文章を見た自分の感想を残しておこう。
他の人の意見もぜひ聞いてみたい。


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