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怒りがもたらすのは社会の分断だ

近年、自分の主張を怒りの感情で伝える人が増えたと思う。例えば「保育園落ちた日本死ね!」というブログが波紋を呼んだり、環境活動家のグレタさんがもてはやされたりといった具合だ。

なぜ自分の主張を怒りの感情に任せて発信するのか。その背景には「SNS上で一番拡散されやすいのは怒りの感情である」という事実がある。実際に、「ソーシャルメディア空間では、各種の感情の中で『怒り』がもっとも拡散されやすい」という研究結果がある。


冒頭で取り上げた「保育園落ちた日本死ね」の方は保育園入園、グレタさんは環境保護の取り組みの加速という目的の下で発信をしているのだと思う。自分の意見を効率的に発信したい人にとって、怒りを利用するのが最適なのかもしれない。その怒りの先にあるのは何か?私は社会の分断だと考える。

グレタさんの国連気候サミットにおけるスピーチを引用する。

あなたたちは、私たちを失望させている。しかし、若い世代はあなたたちの裏切りに気づき始めています。未来の世代の目は、あなたたちに向けられている。もしあなたたちが裏切ることを選ぶのであれば、私たちは決して許しません。私たちはこのまま、あなたたちを見逃すわけにはいかない。

まずこのスピーチにおける特徴的な点として、環境問題に真剣に取り組まない大人 VS 未来の世代 という対立構造を作り、未来の世代は大人を許さないと語っている点だ。グレタさんだってあと10年もすれば大人の仲間入りを果たすわけで、年齢で線を引いて対立構造を作るのは全くのお門違いなのではないだろうか。


そしてこんな風に怒られた「大人」たちは、環境への意識に目覚めるのだろうか。答えはノーだ。それどころか、ロシアのプーチン大統領、ブラジルのボルナソロ大統領、そして有名どころのアメリカのトランプ大統領に揶揄されていて、Twitter上での皮肉合戦に発展している。


誰か VS 誰かの対立構造を描いて、悪者を非難することは簡単に思える。しかし、それは本当の問題解決の手段ではない。人々にビジョンを示し、共感を集め、共に問題解決に歩む人を増やすことこそが問題解決の手段なのではないか。「共感」こそ、世代や国家、人種や貧富の差を超えて協調するための鍵に思える。


米国の公民権運動で有名なマーティン・ルーサー・キングのスピーチを引用する。

今日、私には夢がある。私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができ るだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれ は、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。

彼のスピーチは「I have a dream(私には夢がある)」という特徴的なフレーズを用いて、米国の理想像を示し、その理想を実現するために共に闘おうと主張している。この理想に共感した多くの人たちが公民権運動に参加し、翌年の公民権法の成立に繋がったのだ。


怒りに乗せて意見を拡散するのは簡単なことかもしれない。しかし、それは本当の問題解決には繋がらない。ある理想像を示し、その理想の実現のために協力したいと思わせるようなリーダーが求められていると感じる。グレタさんの意見は正しいのかもしれないが、彼女の世代間対立を促進し怒りを煽るような発信方法には断固反対します。

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