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「親孝行は3才まで」の意味

桜が終わる季節になると、私の記憶はいつも2015年にトリップする。

ワンピースの下に地球儀を隠し持つかのごとく、まるまると膨らんだおなか。予定日を過ぎても、陣痛が始まってもなかなか出てこない、のんびりやの命。
今、「ほら、もう行くよ」と何度声をかけても目の前の遊びにしか興味のない息子を見ると、あの胎児(こ)にしてこの子あり、と大いに納得するのだけれど、そんな息子ももうすぐ9才である。

出産から1ヶ月ほど、実家の母に手伝いに来てもらっていた。
初孫で、元々子ども好きな母はそれはもう献身的に乳飲子の世話を助けてくれた。抱っこで寝かしつけた子を「背中スイッチ」を起動させることなくベッドに着氷成功した時なんかは、二人して小声で拍手喝采したものだ。小さな命に絶えず神経を張り巡らせる日々の中で、わずかな隙間時間ができると、母はよくこう言った。

「親孝行は3才で終わるけんね」

少しイジワルな口調だったのか、産後の私がナイーブになっていてそう聞こえただけだったのか、いずれにしても良い意味にとらえなかった。「かわいいのは3才まで。あとは憎まれ口叩いたり、屁理屈こねたりするんだから」。直接そう言われたわけではないが、私自身小さいころから「口ばかり達者で!」と親に言われ続けてきたし、今でもあまり素直に感謝を伝えられていないという負い目があった。遠回しにチクリと自分のことを言われているような気がしたのだ。

息子が1才くらいの時だっただろうか。
よちよちと歩く姿を微笑ましく眺めながら、皮肉のつもりで夫に
「親孝行は3才で終わるらしいよ」
と言ったら、「いい言葉やなぁ」なんて目を細めるから、ずっこけそうになった。「いい言葉? なんで?」

すると、夫は心から不思議そうに
「3才までに、もう十分親孝行してもらったよって意味でしょ?」
と答えた。

メカラウロコ 。

その時の自分の、世界がくるりと反転した感覚は忘れられない。
世の中のこの言葉は、そういう意味だったの?
母のあの言葉は、呪いではなく祝福だったということ?

ありがとう。
もうもらったよ。
一生分、もうもらっているからね。

「親孝行は3才まで」の正確な出典がわからないのだけれど(ネットでは永六輔さんがラジオで話したという説が散見される。ポジティブな意味で)、3才の甥っ子の異次元のかわいらしさを見ていると、3年間で一生分の親孝行をしてもらっているという解釈は嘘じゃないな、と思う。

それを裏付ける...わけではないが、3才より前の記憶は、今9才の息子の中にさえほとんど残っていない。泣いた、笑った、歩いた、しゃべった。ばら色のほっぺの存在そのものが愛おしくて、尊い。大変なことだってたくさんあったはずなのに、振り返れば宝石のように輝いているあの日々のかけらは全部、親である私たちがもらってしまった。

息子がやがて私の手を離れて生きていくのだと、はっきりと体感したのは3つ前の誕生日のころ、一人で自転車に乗れるようになったときだ。
最初から補助輪なしで練習を始め、ふらつきながらも乗れるようになってきたと思ったら、突然クッと軌道が定まった。次の瞬間、息子は翼を得たようにぐんぐんペダルを漕ぎ始める。もう、走っても私は追いつけない。コツを掴んで興奮する息子の背中に向かって、叫んだ。足を止めたら、転んでしまう気がして。
「漕いでーっ!そのまま漕いでーっ!」

あれから、息子の成長に反比例するように、私の子育ての悩みはずいぶん減ったと思う。
そのぶん、日々のやりくりに忙殺されて、憶えていないことも増えてしまった。学校の課題で、息子に生まれてから今までの成長をインタビューされて途端に、ここ2,3年のエピソードがとても少ないことに気がついた。言葉を、仕草を、できるようになったことの一つひとつを、見逃すまいと目を凝らしていたのは、何才くらいまでだろう。

母のあの言葉は、「よーく憶えておくんだよ」という意味だったのかな。私が忘れてしまった3才までの記憶を、母は持っているはずだから。そのお守りはちゃんと、彼女に孝行してあげられているだろうか。

3才を過ぎてもうずいぶん経つけれど、息子の誕生日の記録を遡っていたらこの言葉に再会したので、憶えておきたくて書き留めました。

お母さんはもう十分、もらったよ。
その気持ちを私が忘れないように。

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