ChatGptで架空の仏教的な逸話を作れてしまうことに気づいた件
ちょっと気になることがあって、チャットGPTを使ってみた。
最近youtubeを始めたせいか、youtubeのおすすめにブッダや仏教の話がよく表示される。勧められる度にいくつか視聴していたのだが、繰り返すうちに疑問を感じた。
どれもこれも仏教の逸話として聞いたことがない話ばかりだったからだ。「出典元はどこだろう?」と疑問に思った。
私も仏教の勉強をしてきたことにはそれなりに自負がある。これだけたくさんの話があれば、どれか一つは知っている話があるはずだ。
結局色んな方面から調べてみると、生成AIによって簡単に架空の逸話を作ることができることがわかった。
いい話を提供するだけならChatGPTの方が上手なのだろう。
ただしそれらの話は仏典に基づかず、出典元なんてないのだ。
また仏道を自らの足で歩む仏教者自身(生身で仏道を経験する人間)が表現しているわけでもない。
何の典拠にも基づいていない話を「仏教の話」としていいのだろうか?
ChatGptで架空の仏教的な逸話を作れてしまう
以上のリンク先は私とChatGPT上とのやりとりだ。Anonymousは私が打ち込んだ部分である。
たった数個のキーワードで仏教的な逸話が表示される。
youtube動画にある仏教やブッダの話として色んな投稿がされている。どれもこれも私が知らない仏教の逸話の話で、最初は「いろんな話があるんだな。もっと勉強しなければ」と思っていた。
ただ、おすすめされる投稿が、毎回同じユーザーのものではなかったし、他の複数のユーザーも似たような動画を作っていることに気が付いた。
それに私も仏教の勉強をしてきたことにはそれなりに自負がある。これだけたくさんの話があれば、どれか一つは知っている話があるはずだと思った。
そう思うと違和感を感じた。
ChatGPTを試しに使用してみて納得がいった。
chatGPT曰く「ただし、仏教の教えに基づいており、仏陀の教えを引用したものです。仏教の文献や教典には、怒りを抑えるための教えがいくつか含まれています」とあるが、仏教にもいろんな分派、宗派などと言ったものがある。
宗旨・宗派を立てる宗派もあれば、宗旨・宗派を立てない宗派もある。自らの宗旨の独自性や正当性を主張しすぎて滅んでいった仏教もあれば、逆に当時の他思想をどんどん宗旨に取り込んでいった結果滅んでいった仏教もある。
仏教の文献や教典といってもその数は膨大だ。経典だけでも膨大なのだ。そして経典の言葉の一つ一つは月を指す指に過ぎない。
「月=本当に伝えたい事」、「指=伝えるための手段」を意味する。
指の指し方は、その時の様子や条件など色々と配慮しなければ、時に人を誤った方向へと導くものだ。
その典拠を開示できないことには、それらについて考察や検証することもできない。
ただ単に「いい話」を提供するだけなら生成AIの方が上手なのだろう。
ただしそれらの話は仏典に基づかず、出典元なんてないのだ。
また仏道を自らの足で歩む仏教者自身(生身で仏道を経験する人間)が表現しているわけでもない。
何の典拠にも基づいていない話を「仏教の話」としていいのだろうか?
これらの情報を鵜呑みにしてしまうとどうなってしまうだろうか?
今の私達はどうしたらいいのだろうか?
私は疑問を持った先に自ずから見出した答えを信頼し、また答えから自ずから生まれた疑問を信頼しています。そういった問いや答えの中で巡り合った人達とのやり取りを、思い出を、教えてもらったことを大事にしています。
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