見出し画像

地球外少年少女(感想)_重たいテーマをよく練られた未来の設定でゆるく楽しめる

『地球外少年少女』は2022年2月に劇場公開、全6話のアニメで監督・脚本は磯光雄。
未来の宇宙空間での出来事なのに、ガラパゴス化した日本の技術力やヴィジュアルをそのままに、AIと人類の付き合い方など重たいテーマのストーリーをライトに楽しめるアニメだった。
以下、ネタバレを含む感想となどを。

違和感を感じさせないガジェットのUIや使い勝手

舞台は2045年の宇宙、地球周回軌道上にある日本の商業ステショーン「あんしん」に月と地球それぞれで生まれた少年少女が集うことになるも、考え方の異なる者同士であったため仲良くできない。しかし「あんしん」へ彗星が衝突したことで、お互いに反発しながらも生き延びるために助け合っていく物語。

未来の物語ということで、腕から手にかけてタッチスクリーンのような機能がプリントされていてスマートフォンを持ち歩く必要がなく、ドローンには賢くなり過ぎないように知能リミットがかけられ、「あんしん」内の部屋を区切る隔壁が布でつくられていたりする。
その他にも、ほんの一瞬しか表示されないような場面にも便利ツールが登場し、どれもSFアニメとしては目新しさのある印象だけども、優れたインターフェイスだということが容易に想像できて、詳細な設定までよく練られているから情報量が多く、見直すために気付きがあって楽しい。

人類の抱えている問題や社会の設定は現代と重なっている部分が多く、増えすぎた人口によって地球環境は破綻寸前であったり、リスク回避することよりもSNSのフォロワー数を優先する美衣菜のバイタリティ溢れる様子はYouTuberのよう。さらに霞が関と間違えて霞ヶ浦のWebサイトをハッキングしたというエピソードから、ジョン・ドーは国際的なハッカー集団のアノニマスをイメージしているのだろう。
さらに、「あんしん」のどこかとぼけたネーミングセンスや、火星フロア内では企業や商品ブランドのロゴが節操なく露出して、ヴィジュアルが混沌として統一が無いのもいかにも日本的だと思う。

最初から人類への警告が目的

二転三転する話しの展開を整理するために、ジョン・ドーとセブンによる彗星落としの筋書きについて考えてみる。
まず初代のセブンはAIとして進化し過ぎた末にルナティック(知能崩壊)を起こして世界を混沌とさせた末に、数千人の犠牲者を出したために抹消されたが、セブンポエムなる解読困難なメッセージを残した。
そうしてジョン・ドーはポエムの一部を読み解いて、人口減少を画策するのだが、これはつまり人口が増えすぎたことによって地球環境が急速に悪化しているため、いずれは人類全体が滅びるからそうなる前に3割程度の人口を減らすというもの。だからジョン・ドーに所属する那沙・ヒューストンは彗星を地球へ落とそうとした。
しかし、落下させようとしていた彗星の質量では、人口の3割を減らせるほどではないというタネ明かしや、地球温暖化に猶予が出来たともあるので、セブンは最初から人類に警告をしていたに過ぎなかった。

ジョン・ドーはセブンポエムを一部解読していたが、ある意味セブンの掌で踊らされていて、そのことに気付いていながら「あんしん」に乗り合わせた人々を脅す実行犯として那沙がいたというのが筋書きだと思われる。
那沙の吐血している様子や、セブンポエムによって未来を予知できていたところから、自分の余命が短いことを悟って敢えて人々を脅す悪役を買って出たのではないかと考えられる。

さらに、那沙は死ぬ直前に2通のメールを送信していた。1通は心葉宛で内容は作品中で語られるも、もう一通の件名は「先輩、セブンポエムは...」とあり内容が作品中に紹介されない。
これは今後、人類の宇宙への移住が頓挫して地球上の人口が増えすぎたとき、再びジョン・ドーのような組織が活動することが示唆されているのかもとも考えられる。

最高知能AIの下す決断に従う違和感

人口が増え過ぎた地球では、全人類を賄う資源が不足して地球環境が破壊され続け人類そのものが滅ぶ。であれば人類を存続させるために一定数の人口を減らすというジョン・ドーの主張は短絡的だが、人類を存続させることについては有効な手段となる。
この選択について掘り下げてみると、人の命を選別することへの抵抗は勿論あるのだが、それとは別に効率化を最優先に決断することへの抵抗感もある。

少し横道に逸れる。
MLB機構はマイナー3Aで自動ストライク判定システム(ABS)、通称「ロボット審判」を導入するとされていて、投手の投げるボールを人間ではなく、AIがストライク/ボールの判定するとのこと。
試行錯誤しないと気付かないことも必ずあるので、駄目だったらまた元に戻せば良いくらいでやってみれば良いと思うのだが、野球の娯楽としての魅力が薄まる面も想像できる。
例えば、この1球ですべてが決まるという場面で球審にとって判断に悩むボールがきた時、球審だって人間なので「より試合が盛り上がる結果」を選択することもあると思うのだ。
そんなことは真剣にプレイしている選手達からしたらたまったものではないが、人間が判定している以上そういうこともあると思う。
もっと言うと、判定を不服として監督が球審に詰め寄って暴言を吐いて一発退場、そんな監督の意気に選手たちが奮起するなんてドラマチックな出来事も、AIが判定するようになったら無くなってしまうのだろう。
つまり効率や正しさを追求してAIを導入した結果、野球の楽しみ方も減るように思えてしまうのだ。

人類は地球上で異なる大陸に暮らし、様々な文化、宗教を持っている。
だから地球全体のテーマについては、地球を代表する優れた指導者がいるわけではないから、何らかの決断を実行するのが非常に困難だ。
現代の地球環境問題は待ったなしの問題言われているし、人類が消費し続けている資源は無限ではない。

そもそも野球と比較するのはどうかとも思うが、人類の種の存続を目的として効率を追求した場合、作品中でジョン・ドーの主張するとおり、一定数の人口を減らした方が地球環境が良くなるというのは間違いない。
そういう今どきの空気をすくい取った堅く真面目なテーマを、ちょっとトボけたギャグセンスと夢のある未来の設定でゆるく楽しめるアニメだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?