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別れを告げない

年度の切り替わりのせわしなさでたびたび寝こんでいた。めまいがひどくて夕方眠ってしまう。
ベランダからときどき外を見ていた。咲き初めだった桜が葉桜になってゆく。花びらの散る夕暮れはしずかだった。


ぐあいの良いときに外に出て水辺に白山吹の咲いているのを見つけた。今年も会えた。好きな花が生きていること。ただただ、見つめてすごす。



三月、春風みたいな言葉にふれて、ゆさぶられて、毎年春はゆれてしまって冷静さをたもつことがむずかしくて、でも凪いでいたい、と思った。返事を書かなかった。ほんとうは書こうと思っていた。でも探っても声にならなくて伝えたいことなんてなんにもないのかもしれない、結局沈黙を択んだまま春がすぎてゆく。

雨あがりに大きな虹を見ました、二重になっていて、生まれてからいままでに見た虹のなかでいちばん大きくて、きれいでした。そういうことだけ伝えたかった。言葉にならないものがそこにぜんぶとけている気がする。



大切に思う人を大切にしたい、けどなのか、だからなのか、接続詞はわからないけれどさよならの仕方だけは決めていて、だれにもなんにも言わずに泡のように消えること、それがいつかはわからなくても遠くないかもしれないから後悔のないように渡せるものは渡したい。
ほしいものとか辿りつきたい場所とかはあまりなくて、すこやかでいてくれたらいいなと思う、切に。



ハン・ガンの新刊のタイトルが『別れを告げない』と知ったとき、なんにも言わずにさよならすることだと思っていた。
藍色のきれいな装幀の本が届くころ、そうではないかもしれない、と思いはじめて、さよならをしない、という可能性について思いながらゆっくり読んだ。
すべてをおわりにしようとするところからはじまる物語。降りつづく雪のなかで灯された光。流れこんでくるものがあふれて波にさらわれそうになっても、命も存在も痛みも、すべてまなざして、自分のそれも含めてろうそくを灯してゆく、別れを告げないという思いのありように涙がとまらなかった。
雪みたいに、ずっと降っていた。



梢に透きとおった葉がつきはじめてもうじき初夏になる。いろんな花が咲く。泣いていいし声を出さなくてもいいからちゃんと自分を咲きたい。嘘をつかずに。ほんとうのことだけをことばにしたい。



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