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じゅずつなぎ

祖母が亡くなって、もうすぐ一年になる。

私は父母とうまく心を通わすことができなかったこともあって、おばあちゃん子で、なんにもしゃべらないで側にいても居心地よくいられる唯一の人が祖母だった。

長年農作業で鍛えたせいかとても健康で、でもそれゆえに、まわりの人たちが施設や病院に行くようになっても変わらずおなじ暮らしをしていた祖母は孤独になった。
親族や知人が世を去り、話し相手が減り、頭がしっかりしていたので、自分の置かれた状況もよく分かっている。淋しそうで、不安そうだった。
空中に張られた、蜘蛛の巣のまんなかにいる蜘蛛を思う。自分を支えていた糸が、ぷつんぷつん、とあちこち切れてゆき、体を支えることがむずかしくなっているような。

だんだん体が悪くなってきてデイサービスに通うようになると、やっとそこで話せる相手ができて、祖母はうれしそうだった。

私が実家に帰ると、いつも祖母は折り紙をくれる。薬玉や、花かご、コマなど、おぼつかない手でひとつひとつ折られた手づくりの紙細工。祖母が折ったものではない。
「もらったんだよ」といって、だれかが作ったものを、いつも私に手渡してくれた。
すこしずつ弱ってきて、いつどうなるかわからない、明日にでもどうにかなるかもしれない祖母がくれるものを私はありがたく受けとって、持ち帰った。これが最後かもしれないといつも覚悟していた。

どこかのおばあちゃんが作った、その出どころ不明の手づくりのものは私の部屋に増えていった。
まったく知らない人の苗字が書かれていたこともある。よく見えない目、しっかり動かない指、老いた体で作られたものは、折り紙を覚えたての子どもが作ったようにあどけなくて、いびつで、でも時間をかけて作りあげられた、想いのこもったものだった。

なぜ私にくれるのだろう、と思っていた。

だれかが祖母のために、仲良くなりたい気持ちをこめて作ったものを、なぜ自分で大事に持っておかず、私に渡すのだろう。
要らなかったのかもしれないし、処分に困っていたのかもしれない。自分が温かい情を向けられ、だれかとつながっているという証明を、人に見せたかったのかもしれない。それくらい、孤独であったから。でもたぶんそれだけではない。なにかこう、渡そうとする意思を感じた。


もうすぐ儚くなる自分のもとにもたらされた大切なものを、別の人につなげようとする試みのようだった。
だれかが自分と仲良くなろうと、のばしてくれた細い糸を、どうして私のところまでつなげてのばすのだろう。私は受けとったものにふれる。どこから来たのかわからない細い糸を手にとり、じっと考える。

祖母がいよいよとなったとき、布のきれはしのようなものを手に持っていたことをよく覚えている。
自分の娘にもらったという布きれで、ハンカチか帯か、なにかはわからないけれど細長いきれのようなものをぐっと摑んでいた。

浄土宗の臨終行儀に「五色の糸」というものがあって、それに似てる、と思った。
平安時代にも行われていた臨終の際の文化で、藤原道長も行なったとか。病人の枕元に仏像や仏画を置き、そこから五色の糸(あるいは幡という、細長いきれのようなもの)を垂らして病人の手に持たせる。
仏と結縁をし、極楽浄土への往生を願う慣行で、死ののちのつながりを手に感じることで、安心と救いがもたらされたのだろう。


命の終わりというときにあって、なにかとつながっているという実感はとても大事なものなのかもしれない。

祖母から最後にもらったのは、だれかの作った首飾りだった。
ガラス玉のような、透きとおったプラスチックの玉がならぶ、子どものおもちゃのような飾り。首飾りというにはすこし短く、手首に巻くには長い。
数珠に似ていた。
その数珠めいた飾りを祖母は手首に巻きつけていて、色違いのおなじ飾りを私に寄越した。

だれかからもらった数珠のような飾りを手首に巻き、娘から渡された布きれを手にしっかり摑んでいた姿、そして、「ずっとそばにいるからね」と私が手を重ねているとそのまますうっと穏やかに眠っていった寝顔が忘れられない。そしてそれが生きている姿を見た最後で、数日して旅立たれた。

亡くなってもふしぎと喪失感がなくて、むしろかえって近づいたような、ずっと変わらずそばにいるような感じがして、生きていたころよりずっと祖母を近くに感じる。
長寿だったこと、気持ちの準備ができていたこと、なんども「これが最期かも」と思いながら会い続けてきたことなどもあって、「亡くなったよ」と母から聞かされたとき、いちばんにしたのは涙を流すことではなく空の写真を撮ることだった。
さぁこの日の空を忘れないでいよう。そう思って撮った。朝の空はよく晴れていて、きれいだった。


いまも私の部屋に出どころ不明の紙細工はまだあり、数珠のような飾りは大切に掛けてある。
祖母がつなごうとしたものはなんだったのかずっと考えている。
自分にのばされた細い糸を、だれか別の人へとのばすこと。

そうやってじゅずつなぎに結ばれてゆく営みのこと。

私はどうしても大切なものは自分のところに留めてしまいがちで、それをだれかにひらいてゆくということがなかなかできなかった。
でもそれを手放して渡していくということの大切さをいま噛みしめている。どこから来たのかわからない細い糸を手にとって思う。私もすこしずつ糸を遠くへのばし、つないでゆきたい。かつて祖母が身をもって見せてくれたように、じゅずつなぎになってゆくその先を願ってみたい。


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