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ノイズの少ない生き方とは(2)

(1)の続きです。またもや長文の上、(1)と重複してる部分もありますがお付き合いいただければ幸いです。また、後半に「死」「葬式」という言葉が多発します。辛い方はお読みにならない方が良いかもしれません。


家族が無職になり、収入を増やすために引き受けた他社の設計業務委託。そこで僕はさまざまなストレスにさらされ、心身を病んでしまいました。


しかし

そもそも、なぜ自分の収入を増やす必要があったのか。僕の営んでいた事務所だけでは食べていけなかったのか。

当時の僕は(1)で書いたように、独立して狭い客層を相手に仕事をしていたため、収入はそれほどありませんでした。

僕と家人だけならその収入でもなんとか暮らせたのですが、実は家人は別れた元家族の家賃と養育費を払っている状態でした。


家賃2軒分と自分達の生活費と養育費。その内僕らの家賃は、家人が若い頃に親と同居するために買った一戸建ての住宅ローンでした。ちなみに家人の両親は僕らが出会う前に亡くなっています。

その家を一部改装して僕の事務所を作ったので、住宅ローンの残金と改装ローンを併せて借り換え、一般的な家賃相場で1.5軒分を払っていました。

つまり家賃は2.5軒分。当時の家人は割と高収入だったので可能でしたが、その家人が倒れ、僕がひとりでそのお金を捻出しなければならなくなったのです。



そのお金を稼ぐため、最初は自分の事務所と委託業務の両方をがんばっていました。しかし委託の数が多く、途中から自分の事務所は休業し、委託業務に専念していました。ところがしばらくするとその会社の事情が変わり、同時にお客さんの性質が変わって来たのです。

常識を超える暴言を連日叫び続ける人、訴訟をちらつかせて多額の賠償をねだる人。自分さえ良ければ隣人が迷惑しても構わない人。僕ら業者や社員などを人間扱いしない人。

一々内容を書くとひたすら長くなるのでやめておきますが、そんな客と会社にずいぶん振り回され、あれほど好きだった設計の仕事に少しずつ嫌悪感を感じ始めたのでした。




数年間頑張りましたが、最後の方はもう限界が来ていました。

心因性の聴覚過敏、頭の中で鳴り続けるスマホ呼び出し音の幻聴、毎晩の悪夢、全身の蕁麻疹、突然のはげしいめまい、そして車の運転中に現れたパニック発作。。。

僕は仕事だけでなく、人生そのものを一旦休業せざるを得なくなったのです。




けれどその頃には家人もなんとか再就職できました。また養育費と家賃についても、子供が成人するまでだった約束が完了し、きちんと話し合って無事終わることができました。

住宅+改装ローンについても、持ち家の売却益を充てれば完済出来る状態までになりました。

そして家を売却し、生活をとことん見直して質素な倹約暮らしを始めてみたら、なんとか家人の収入だけで暮らしていけることが判明。

今度は僕が世間を離れ、病気療養を兼ねたミニマムな生活が始まったのでした。



しかし身軽になったはずの僕は自分の情けなさ、無力さに打ちひしがれ、子供時代のいじめの記憶までもがよみがえり、怒りと被害者意識が脳内で延々と堂々巡りを繰り返していました。

加えてコロナ禍の真っ只中でもあったため、感染への恐怖や、人との距離で苛立ちを感じたりとメンタルは悪化する一方。

更にもうひとつ、既にお気づきと思いますが、僕らはLGBTQ家族です。家人の家に住んでいた時には、近所から白い目で見られたり嫌がらせを言われたことも多々ありました。正直、改装もしたので愛着はありましたが、そこに住むのはとても辛かった家でした。


中学のいじめ以降、必死で造り上げた「頼りにできるはずの自分」が使い物にならなくなった僕。

社会に戻ってもやっていく自信はない。もう建築設計の仕事はしたくない。それどころかどんな仕事もできそうもない。だけど働かなきゃ生きていけない。

僕はこの時点で

人間に不信感、恐怖、嫌悪感しか感じなくなり、この社会では生きていくこと自体が無理

と、完全な引きこもりになってしまったのです。





学校生活でのイジメ、仕事で体験した人間の暴力性。そして僕がLGBTQであることで受けた人間性の否定。

特にLGBTQは、人に知られることが怖くて誰にも言わず、ずっと隠し続けていました。

しかし、小学校のロクでもない教師から始まった陰湿なイジメも、実は僕の特性に気づかれていたのが原因かもしれません。

それは中2の時にいわゆる「葬式ごっこ」を2回もやられたことからも推測できます。その時はさすがに僕もキレて殴り合いの大げんかになりましたが。

当時の連中の常識でいけば、普通とどこか違う僕は「死んだことにしていい人間」だったのでしょう。



だから僕は強くなりたかった。この過酷な世界で生きていくために。

そのために自分にできることは進んで行いました。本、成功哲学のカリキュラム、メンタルトレーニング、実家が仏教系寺院であるにも関わらずキリスト教の牧師に師事したこともありました。


そうして強くなれば様々な苦難を乗り越えられる。戦える。そう信じて努力して来ました。

一体何と戦うのか。もちろん次から次へと現れる人生の荒波のことでもありましたが

実は僕には、ラスボスのようなある呪いが心の奥に棲息していました。

最初のイジメから何度も何度も言われ続けた

「おまえ死ねば?」


という言葉が。


中2の時、僕が14歳で死んだことにされた「葬式ごっこ」。お悔やみ状をクラス内に回覧して、皆が「かわいそうに」「ご冥福を祈ります」などと書き連ね、最後に僕に回して反応を見るという遊び。

それは架空の世界とはいえ、僕が生きていることを他人が否定したということです。死ねと言われたのと同じなんです。

「本気じゃないよ」
「つい口から出ちゃったんだ」
「言葉に振り回され過ぎじゃない?」

そう言う人もいるかもしれません。

実際、僕自身も何度も

「きっと悪気はなかったんだよ」
「自分が敏感過ぎ」
「もう過去のことじゃないか」

という呪文を唱えながら、ずーっとこのラスボスの呪縛を逃れようとして来ました。


もちろん世界には、豊かで慈愛に満ちた部分はあります。人の無垢な優しさに思わず泣いてしまった経験もあります。それは僕だって理解しています。

ですが、疲れ果て荒み切った当時の僕は


どうせ社会に出ても生きていけないんだ
どうせオレはいないほうがいい人間なんだ
どうせ寿命が来たら死ぬのなら、今死んでも同じだろ?


という結論を出してしまったのです。


そうして僕はやっと穏やかな生活を得られたというのに、この呪いの言葉に完全に敗北し、日々ただ死ぬことばかりを考え始めたのでした。



ですが、ある物語との出会いで僕は大きな転換を迎えます。それは

人間の体の中には約37兆2000億個もの細胞たちが今日も元気に働いている

というオープニングナレーションで始まる「はたらく細胞」という作品との出会いでした。




えー?マンガかよ!!って人もいると思いますが。

(3)に続きます。やっと主題の「ノイズの少ない生き方」です(すみません)。



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