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向き合っている今が素晴らしい

Twitterから

私HSPだと思うんです!

と、自分のモヤモヤに名前がついてスッキリした人がいた。

他の人が怒られてるのに自分も怒られてる気になったり、相手の顔色に敏感だったりする、と。


ただ私には、
その人が親から受けてきた虐待の後遺症のようなものが
そうさせてるようにしか見えなかった。



その人は自分の生きにくさが 繊細なせい と
原因が見つかって、喜んでいたようだった。

そこに「いや、それはPTSD的な何かではない?」と

投げかけるのか、否か。

悩みましたねー

私の見立ても正しいとは限らないし、
HSPは診断名でも何でもないし。

虐待の後遺症とは知らずとも、生きていくことはできる。

ただ生きにくさはついて回る。

かと言ってきちんとカウンセリングを受けたからといって、後遺症が治る保証もない。

曖昧に「そうなんだ!」と笑うしか、
その時は出来ませんでした。


その人と対話を繰り返していくうちに、
数ヶ月、あるいは年単位だったかもだけど。


ふとその瞬間が訪れたんですよね。

あ、今ここが、伝えるその時だ って。


伝えられた後に、私が担当の間にやるべき事はやり終えたな…って思った

実際は何も終わってなくて、むしろ始まりなんだけど。


これから、その人は、
自分の過去と向き合い続ける人生になるんだと思う。

ツラくて長い道のり。

ただ、私は、

向き合い続けるプロセスそのものに価値があって、
意味があるんじゃないか と思っている。


自分の経験からなので、
あくまでn=1なんですけどね。


生きにくさがゼロになったり、
連鎖を完全ストップできたら、完璧なんだけど…

たぶんそれ求めちゃうと苦しいなって。


だから、私は、今の私自身に価値があると思うことにしました